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泣き虫でやさしい僕のヴァンパイアへ
*
彼は不老不死のヴァンパイアなのだという。
初めてそれを聞いたとき、僕は笑ってしまった。
だって、彼の姿はふつうの人間そのもので(そりゃあふつうよりもずっとずっときれいな顔をしていたけれど)、化け物じみた気配などなにひとつなかったから。
お腹を抱えて笑う僕に、彼はまじめな口調で、僕のおじいさんも、そのまたおじいさんも知っていると語った。
僕は笑いを引っ込めると半眼になって、じっとりと彼のきれいな顔を眺めた。
証拠を見せろよ、とそう言った。
あんたが不老不死である証拠を。
上にしたてのひらを彼に突き出すと、彼は眉を寄せた情けない表情になって、そんなものはないよと答えた。
写真ぐらいあるだろ、と僕はさらに詰め寄った。
彼は眉間にしわを作ったまま、さびしげに少しだけ笑って、口を開いた。
「僕は写真には写らないんだ」
嘘ばっかり。
僕は呆れて、ポケットから取り出したスマホを構えた。
カメラを起動してパシャリとシャッターボタンをタップする。
そして画面を見て……唖然としてしまった。
まるで透明人間かのように、彼の姿が消えてしまっていたのだ。
ほらね、と彼が言った。さびしい笑い方のままで。ほらね、と。
彼が僕の前に現れたのは、どうやら僕のご先祖様となにやら関係があるらしかった。
名前すらも知らない遠いご先祖様が、彼の想いびとだったのだという。
ご先祖様は彼に、
『きみが永遠のいのちを持っているのなら、子どもや孫を見まもってくれ』
と言ったそうだ。
そして重ねて、
『その代わりに子どもや孫たちがずっときみの傍に居るよ』
と、そう彼に告げたらしい。
子どもや孫に黙って勝手にそんな約束をするなんて、なんて横暴なご先祖様なんだろう。
でも待てよ、と僕は首を捻った。
不老不死の彼は、僕をそのご先祖様の子孫だと言うけれど。
なんで子孫の僕がその約束を知らないのだろうか?
っていうか、親や祖父母の誰からも、不老不死のヴァンパイアの話を聞いた覚えがなかった。
なんで? と僕は彼に尋ねた。
なんで僕の家族は誰もきみのことを知らないの、と。
そしたら彼は、きれいな目からぼろぼろと涙を落として、僕は忘れられてしまったんだ、と語った。
彼によると、そういうふうにできているのだということだった。
人間は、彼のことを記憶に留めておくことができないのだと。
きみだってそうだよ、と彼は言った。
「明日僕に会わなかったら、明後日にはもう忘れているよ」
そう呟いて、ヴァンパイアは忘れられるかなしみに思いを馳せ、また涙をこぼした。
彼はこれまでに、たくさんの『喪失』を経験してきたのだという。
人間の記憶の中から、自分が居なくなってしまう『喪失』と。
永遠のいのちを持つがゆえに、誰もが先に老いて、死んでいってしまう『喪失』。
それを繰り返す中で彼は、もう人間には関わるまいと決意した。
さびしさに慣れることなんてできないから。
ひとりぼっちで生きる方がずっと良いと思った、と。
きれいな唇がさびしい言葉を吐いた。
じゃあなんで。
じゃあなんで、僕の前に現れたんだよ。
僕は彼の黒い瞳を睨みつけて、尋ねた。
ひとりで生きるというのなら、なぜいま、僕の前に出てきたのか。
黒い服の群衆に紛れて。
夜の闇の中から抜け出したような、真っ黒な恰好で。
なぜ僕に会いに来たんだ。
僕の詰問を受けて、彼は眉間にしわを寄せるさびしげな笑い方で、ほろりと笑った。
彼の手が、僕の肩に伸ばされた。
喪服をまとう、僕の肩に。
「きみがあんまり、さびしそうだったから」
言葉とともに、抱き寄せられた。
頬を寄せた彼の白い首筋は、ひんやりとしていて。
冷えた肌が、僕の目から落ちたひと粒の涙を吸い込んでゆく。
今日はお通夜だった。
父と母と姉と姉婿のお通夜だった。
妊娠中の姉を産婦人科へ送るという姉婿が、ついでに父と母を駅まで連れて行ってくれると言うから、四人は姉婿の運転する車で出かけたのだった。
そしたら運悪く居眠り運転のトラックが突っ込んできて。
みんな死んでしまった。
いや……ひとりだけ……姉のお腹の中に居た赤ちゃんだけは辛うじてたすかったけれど……。
でも、僕の家族はその子を除いてみんな居なくなってしまった。
突然のことに、まったく実感はなかった。
だけど。
いま、僕を抱きしめている彼が、あんまりかなしそうに泣くから。
僕よりもずっとずっとかなしそうに、泣いているから。
僕も、我慢ができなくなって、目の前のヴァンパイアにしがみついて、泣いた。
ぎゅっと抱きしめ合っている内に彼の肌は、僕の体温が移ってほんのりあたたかくなっていた。
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