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僕の血で酩酊した彼と。
彼の牙に陶然となった僕は。
二人抱き合い、体を重ねた。
彼の、ひんやりとなめらかな肌の手触り。
吐息の湿り気。
僕に触れる、指、髪、唇、舌の感触。
鼓膜を揺らす、声。
彼のすべてを、僕は僕に刻み付けた。
忘れたくない。
覚えていたい。
泣き虫でやさしい、僕のヴァンパイアのことを。
でも僕のいのちを背負わせたくない。
なにひとつ、彼には背負わせたくない。
失くしてきたすべてのものを想って泣き続ける彼を。
僕はもう解放してあげたかった。
僕の首筋を噛んだとき、血を吸い上げた彼の頬にはいつもより赤みが宿っていて。
「久しぶりの血で酔ってしまった」
と言って、うつくしい顔でほろりと笑っていたけれど。
泥酔した人間のように、酔ったら記憶を失くすということがあるのだろうか?
(きみのこの肌のぬくもりも、その声も、目や唇のかたちも……僕はぜんぶ、覚えているよ)
かつてそう言った彼は。
いま、この瞬間のことも忘れることはないのだろうか。
互いの体の熱も、汗の匂いも、涙の味も……彼の記憶は、ひとつも取りこぼすことなく記憶し続けるのだろうか。
忘れてほしい。
忘れないでほしい。
二つの想いが僕の中で綱引きをしている。
彼と肌を合わせている最中、僕の目からはずっと涙がボロボロと零れていた。
これじゃあまるでヴァンパイアみたいだ。
泣き虫でやさしくていとしい、僕のヴァンパイアみたいだ。
僕があんまり泣くから、ついには彼にまで、
「今日は泣き虫だね」
と言われてしまった。
冷たい指先に涙を拭われて、僕は笑った。
たぶん、ふだんの彼と同じ、眉間にしわを作る笑顔になったのではないかと思う。
そんな顔をしないで、と彼は言ったけれど。
それを言いたいのは僕のほうだった。
二人で居るときに。
そんなにさびしそうに笑わないでほしい。
ほろりと笑んだ彼の眉間を、僕は親指でぐりぐりとこすった。
神さまどうか僕の決断が。
彼のさびしさの海を、これ以上溢れさせることがありませんように。
人外の化け物と抱き合いながら僕は、神さまに祈りを捧げた。
やがて涙を止めた僕は、彼を拒絶する言葉を喉の奥から吐き出した。
繋いでいた体を離して。
まだ仄かに赤い頬をした彼を、突き飛ばして。
もう二度と僕たちの前に現れるな、この化け物、と……。
始めからあんたが化け物だと知っていたけど、実際に血を吸われて恐ろしくなった。
体を繋げたのだって僕の意思じゃない。あんたが僕を操ったんだ。
二度と顔も見たくない。
あんたが傍に居たら僕も姪っ子も呪われる。
金輪際、僕たちに関わらないでくれ。
ご先祖様との約束なんか知らない。いま僕に誓え。
僕や姪っ子にこの先子どもができたとしても、もう絶対に、二度と関わったりはしないと僕に誓え。
未来永劫、二度と。
二度と僕たちに関わらないと誓え。
あんたは化け物だから、動物の血を吸ってひとり生きていくのが似合いだ。
誰にも関わらずにひとりで生きろ。
ひとりきりで、生きてゆけ。
僕は思いつく限りの罵詈雑言を、彼へとぶつけた。
彼は早口にしゃべる僕の言葉を、最後まで黙って聞いていた。
彼の頬はいつもの白さを取り戻していて。
彼が吸い上げた僕の血は、どこへ行ってしまったのだろうかと考えた。
もう消えてしまったのだろうか。
彼の中から。
僕の血は。
ぼんやりと彼を見つめる僕へ。
彼の黒い瞳が向けられている。
彼は泣いてはいなかった。
ふだん、あんなにボロボロと泣くくせに。
静かな眼差しで僕を見て、ただ小さく頷いただけだった。
さよならの言葉もなく、彼が窓から出てゆく。
黒い服が、闇夜に溶けた。
それが完全に見えなくなってからも、僕はしばらく窓辺から動くことができなかった。
彼と別れてから、僕は荷造りをした。
ベッドの上で彼と体を重ねていたとき、あんなに泣いたからもう涙は残ってないと思ったのに。
ひとりになると寒くてさびしくて、涙が勝手溢れてきた。
滲んだ視界の中僕は、やけくそのようにバッグに衣類を詰めていった。
彼は気づかなかっただろうけど、家具が残っているのはこの部屋だけだ。
あとはすべて処分した。
姪っ子はひと足先に引っ越している。彼女は施設に入ることが決まっていた。この先、僕が面倒を見ることができないから。
朝になったら僕は病院へ向かう。
そこが僕の、最期の居場所となるところだ。
この部屋の残りの家具も、明日になったら業者が片付けてくれる。
毎晩彼を迎え入れていた窓と。
彼と寝た、ベッド。
それらをスマホのカメラで写した。
本当は彼の写真も欲しかったけど、彼は写真にすら姿を留めておくことのできない化け物だから。
僕はノートを広げて、まだ彼の記憶が鮮明であるいまの内に、必死に彼の姿をスケッチした。
描いている内にまた泣けてきた。
彼の目は、こんな形じゃない。鼻も唇も違う。こんなのは彼じゃない。僕の絵は彼に全然近づいてくれない。
忘れたくない。
忘れたくない。
忘れたくない。
僕の泣き虫なヴァンパイアのことを。
なにひとつ忘れたくない。
僕は泣きながらずっと、朝が来るまでシャーペンを動かし続けた。
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