泣き虫でやさしい僕のヴァンパイアへ

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*******  ぽたり、ぽたり。  一定の速度で点滴筒の中に輸液が落ちてゆく。  眠れない夜に僕は、羊の代わりにその雫を数えるのだ。  ある程度の数字になる頃にはいつの間にか寝てしまっているから、わりと効果的だと思う。  でもいまは昼間だから、僕はそれを数えることはせずに、ギャジアップをしたベッドの背にもたれかかって、レースのカーテン越しに窓の向こうへと視線を投げた。  海辺の、こぢんまりとした病院の一室からの眺めは悪くない。  換気のため十センチほど開けている隙間から時折吹き込む風が、カーテンをはためかせ、青い海がキラキラと光る様を見せてくれる。  床頭台(しょうとうだい)には姪っ子が集めてきたきれいな貝殻が並んでいる。  貝殻の奥には、写真立て二つがあって。  前に住んでいた家の、窓の写真とベッドの写真が飾られていた。  なぜ窓とベッドを写真に残したのか、僕はまったく覚えていないけれど、これを撮ったのは僕なのだと姪っ子が言っていた。  その姪っ子は今日もたぶん、学校終わりに顔を見せに来てくれるだろう。  彼女の元気な声を聞くのが、いまの僕の一番の楽しみだ。  姉の忘れ形見である姪っ子には、このさきたくさんのしあわせが訪れるよう、願ってやまない。  よく晴れた空からの陽光を受けて、海はきれいに澄んでいた。  今日はいい日だ、と僕は思った。  景色はうつくしいし、体調も悪くない。  今日はいい日だ。  ふわり、と舞ったカーテンが、床頭台の端に置いてあったコップを倒した。中身は空だったしプラスチックのコップなので被害はない。  僕は手を伸ばしてコップを起こし……ふと、テレビの手前に立てかけてある画用紙に気付いた。  なんだろう、これは。  そっと取り上げて、膝の上で広げる。  描かれていたのは、男のひとの絵だった。  きれいな黒い瞳と。  艶やかな黒い髪と。  なめらかな白い肌の、うつくしい男のひとが。  やさしく。  やわらかく。  花がほろこぶように。  満面の笑みを、浮かべて。  しあわせそのものというような顔で、笑っていた。  これは誰だろう。  まったく知らない男のひとなのに。  その笑顔を見ているとなんだか苦しくて苦しくて。  なぜかわからないけれど、泣けてきた。  僕がひとり肩を震わせて泣いていると、病室を覗いた看護師さんが驚いて僕に駆け寄り、どこか苦しいんですかと言って背中を撫でてくれた。  僕は首を横に振って、違うんです、と答えた。  この絵を見てると、なんでか泣けてきて。  涙声でそう答えると、看護師さんも画用紙を覗き込んできた。  きれいなひとですね、と看護師さんが言った。  とってもしあわせそう、と。    この絵は誰が描いたものなのだろう。  姪っ子なら、なにか知っているだろうか。  姪っ子が来たら、聞いてみよう。  しあわせそうに笑う、彼のことを。  一度会ってみたいな、と僕は思った。  この絵の彼に。  会ってみたい。  会って、そして……。  この絵と同じ笑顔を、見せてほしかった。    泣いたせいで体力を消耗したからだろうか、不意の眠気を覚えて僕は看護師さんの手を借りて横たわった。  頭部のギャッジを下げて、点滴の速度をチェックした看護師さんが部屋から出てゆく。  その足音を聞きながら、僕はそっと目を閉じた。  次に起きたら、姪っ子に、絵のことを尋ねるのを忘れないように、胸元にしっかりと画用紙を抱きしめて。  僕は波に揺蕩(たゆた)うように、ひとり眠りについたのだった……。  
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