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近所のホテルが火事に遭った。
サイレンの音につられて外に飛び出すと、燃え盛るホテルの窓から、必死に手を振って叫んでいる男の姿が見えた。
「たすけてくれー!」
男は窓から身を乗り出し、炎から逃げるうちに外へ転がり落ちた。
あっ、と自分も含めた野次馬たちが声を上げた。男がいた部屋はホテルの二階、いや三階ほどだろうか。地面には芝生が植え込んであったと思うが、あの高さから落ちれば大怪我は免れないだろう。
「たすけてくれー!」
まだ逃げ遅れた人間がいるのか、と声のする方を見て驚愕した。そこには、先程ホテルの窓から落ちた男がいたからだ。
さっきと同じように両手を振って、煙と炎から逃げようと身をよじりながら、必死に助けを求めている。その表情、服装、体型、何もかもがそっくりそのまま同じだった。
唯一違うのが、その男がいる場所だ。最初に見かけたときはホテルの二、三階にいたはずなのだ。ところが今は五階あたりの窓から姿を見せている。
ひときわ大きいざわめきが起こった。
男の姿がゆらり、と揺れ、窓から真っ逆さまに落ちた。
私は目を固くつぶり両手で耳を覆った。自分の想像力が恨めしかった。ホテルの五階。その高さから墜落すれば人はどんな姿になるのか、考えたくないのに頭の中にその予想図が次々とと浮かんだ。
火事の野次馬なんかに来たことを後悔し、私はその場を立ち去ろうとした。
「たすけてくれー!」
体が硬直した。
短い時間の間で、嫌というほど聞き慣れた声がした。
私は見てしまった。
ホテルの最上階から助けを求めているあの男を。
「たすけてくれー!」
「たすけてくれー!」
「たすけてくれー!」
「たすけてくれー!」
男の影が揺れた気がして、私は震える足を無理矢理に動かして走った。
当時を思い出して気づいたことがある。
ホテルの窓から繰り返し墜落していたあの男、本当は「たすけてくれ」と言っていたんじゃない。
今思い出すと、どうしてもこう言っていたように思えるのだ。
「死なせてくれー!」
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