171人が本棚に入れています
本棚に追加
ある日、美花の好みにぴったりの、白に近いごくごく淡いピンクの八重咲きの芍薬を見かけた。表示には「芍薬(白)」と書かれていた。同じ容器には、蜜がたっぷりついた大きめの蕾が幾つか。
そのうちの1本に、なぜか目を奪われた。
これ、欲しい。
咲かせたい。
一目惚れ。
しかも、溺愛レベル。
“この子”がいい。
魅入っていると、店員さんが近づいてきた。
線の細い人だと思ったけれど、無造作に捲った袖から出た腕は、骨太な上、筋肉質に見えた。その装いに、もう春も終わりなんだな。と思った。汗で幾つか束ができた前髪に、花屋は重労働なんだな。と感じた。
綿の白シャツにジーンズ、店名がプリントされた、深いグリーンのエプロン姿の店員さん。
人の顔をなかなか覚えられない美花だが、数人しかいない店員さんのうち、ただ一人の男性店員だから認識できた。
この店にいる男の人はこの人。そんな風に、人物を記憶していく。
「こんにちは」
「今日はどの3本にしましょうか?」
ーー覚えられていたか。さすが、客商売。羨ましい。
「この子が欲しいんです」
美花は、目を付けた一本を手に取った。
「『この子』ですか?」
「あ」
思わず声が漏れて、慌てて口を塞いだけれど今さらだ。
「そういうの、俺、いいと思いますよ」
彼は、“本当だよ”というように何事もなかったような表情。
「私はこの子、ラナンちゃんて呼ぶんです。内緒ですよ」
彼は、美花が持つ芍薬とよく似た色のラナンキュラスを指差した。
さっきは「俺」って言ったのに、今「私」って言った。
なぜか印象に残った。
「もう、この子たちの季節は終わりですけどね。芍薬さんと交代」
“芍薬さん”?
ラナンキュラスはちゃん付けで、芍薬はさん付けなんだ。様とか、呼び捨てもあるのか聞いてみたい。
「店員さん、本当に花が好きなんですね」
彼は、少し驚いた表情をしてから頷いた。
「仕事に選ぶくらいですから」
「店員さんは、アルバイトではなく、社員さん?」
「ええ、まあ、そうです」
なぜか、彼は笑いをこらえたような口許で答えた。
(この人、もう1年以上来てるのにな……)
「eternal」は佐倉の店だ。企業のフラワーデザインが業務のメインだが、小売りもしている。手が空いているときは、こうして店に立つ。
“店員さん”と呼ばれた佐倉は、込み上げる笑いをぐっと抑えるために、重い花器を移動させた。
最初のコメントを投稿しよう!