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その日、頭上から灰が降り注いだ。
船を襲った死の灰は乗組員の身体を汚染し、重傷を負わせた。
どうにか船は港に無事に辿り着いたものの、乗組員が受けた灰の傷が惨状を物語っていた。
悲劇の一部始終を見ていた神は、船の心臓部にあたるエンジンに命を吹き込んだ。
船の体もまた死の灰でもって傷つけられ、癒しを必要としていたからだ。船は長い眠りについて、数十年後に竜へ姿を変えた。
その日、神の元へ初めて姿を現した。
傷がすっかり癒えて、元気になったことを伝えに来たのだ。
「元気になってよかったよ。せっかくだから、外で好きなように遊んでおいで」
神はそれだけ言って、外へ離した。
竜は空高く舞いあがり、姿を消した。
太陽の光を浴びて輝く水面へ飛び込んで、海を泳ぐ心地よさを知った。さらに深く潜って、奇妙な生物たちと出会った。
「キミはあの時の船か」
ギザギザとした歯を見せながら、サメは笑った。体に刻まれた無数の傷は、あの日の乗組員を思い出させた。
「私はこれまで長い眠りにつき、体を休めていたのです。ようやく傷が癒えたので、遊びに来ました」
「そうだったのか。とにかく海は広いからな、いろんなものがあっておもしろいぞ。
好きなだけここにいるといい」
「ありがとうございます」
そう言って、竜は暗い海を泳いでいった。
キラキラしたものがたくさん沈んでいる。
海から生まれたものでないことは、一眼で分かった。
誰が置いていったんだろう。
不思議に思いながら、上昇していく。
水の冷たさを十分に堪能した後は、今度は地上を見たくなったのだ。
穏やかな空を飛び、原っぱへ降り立った。
若々しい草の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
春の香りだ。
「やあ、ここいらでは見ない顔だね。
何してるんだい?」
黒猫は軽々と体の上に登った。
「こんにちは。
今日は外の世界に遊びに来ました」
「そうだったのか。いやあ、ここ最近の人間どもの振る舞いは酷いものだ。そうは思わんかね、キミ」
眠そうに鳴いた。
人間の振る舞いと聞いて、遠いあの日に降った灰を思い出した。
あれも人間による物なのだろうか。
そうだとしたら、何のためのものだったんだろう。
「分かりません。
私はつい最近、目覚めたばかりなのです」
「ほほう、私のほうがいくらか先輩だってことか。ま、世界は広いんだ。存分に楽しむといいさ」
しっぽを揺らして、猫は走り去った。
船を作った人と灰を降らせた人が同じ。
よく分からない。
世界を楽しむ気持ちも失せてしまい、ぐるぐる考えながら、神様のもとへ帰っていった。
「おや、思っていたより早かったな。
初めての世界旅行、どうだったかね?」
困ったことに何から話せばいいのか、分からなくなってしまった。
海底に沈んでいた謎の置物たち、黒猫の言葉と人間、世界もとにかく広かった。
「あまり無理をしてもしょうがない。
今日はもうゆっくりお休み」
神様は作り置きの夕食と本を何冊か持たせてやった。これから世界を知るのに役立ってくれるはずだ。
「今日はありがとうございました。
また世界を見に行ってもいいですか?」
「ああ、構わんとも。
自由に遊びに行っておいで」
神様はゆっくりうなずいた。
竜は頭を下げて、寝床へ戻った。
その背中を手を振りながら、見送っていた。
「本当にありがとうな。これで少しは思い出してくれればいいんじゃが……」
テレビ画面には津波に飲まれる街の姿が映し出されていた。
自然を蔑ろにし、忘れてしまったた者たちへの報復だった。
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