狐花

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   これは、とある村のお話。  大きくもなく、小さくもなく。  貧富の差はあれど、作物は豊かに実り、村人は飢えることなく生活していました。  そのため、飢饉とは無縁。流行りの病も素通りする、そんな村のお話です。  ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎  一見はどこにでもあるような村なのに、飢えや病に見舞われないのは、土地神様の恩恵を受けているおかげでした。  信仰心を忘れず、お参りを怠らず。そして、数十年に一度、生贄を捧げるのです。  生贄は、8歳になった女の子に土地神様が自ら選んで印を付けます。  選ばれた女の子は、14歳になる成人のお祝いを終えた後、土地神様へと捧げられます。  土地神様が生贄を欲する数十年に決まりはなく、印はいつも唐突に付けられます。  今回、印を付けられたのは、貧しい家の末の女の子でした。  女の子が8歳になったその日に、手の甲に丸い痣ができたのです。 「かあちゃん、手に痣ができちゃったよ」 「変な病気じゃないだろうね。あぁ、嫌だ!」  女の子の母親は、穢らわしいものを見る目で一瞥しました。  優しい言葉などかけてもらえません。女の子は、手の甲の痣をさすって畑仕事へと戻りました。 「ほんのちょっと、心配してほしかっただけ」  ぐすっ、と溢れそうになる涙を、とうに腕の長さに見合わないボロ衣の袖で拭って、雑草をむしり始めました。  女の子は、本当はわかっていました。母親、そして父親にとって、自分は穀潰しなのだと。  兄と姉だけで、女の子は産むつもりのない、いらない子だったのです。  ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎  数週間が経つと、女の子の痣はだんだんと形を変えました。  ただの丸だったものが、今では玉ねぎのような、球根の形になりました。  球根は女の子の手に根を張るように、不気味に成長します。 「な、なんだこれは?」  女の子の異変にやっと気がついた父親は、女の子を連れて村一番の年寄りの家へ行きました。  土地神様が生贄を欲するのは数十年に一度。最後に印を見たのは、この年寄りだけです。  女の子の痣を見た年寄りは、驚きました。 「土地神様の印じゃ!」 「あぁ、やっぱり!」  騒ぎを聞きつけて、年寄りの家の周りには村人が集まってきました。  中を覗き込み、女の子を奇異の目で見ました。ひそひそと、囁き声が止みません。 「14になる成人の祝いを終えた後、土地神様にこの(にえ)を捧げる。それまでに肉を付け、身綺麗に育てておきなさい」 「は、はい!」  父親は大きく返事をしました。  その様子に、悲しそうな素振りは一切ありません。むしろ、村人の注目を浴び、どこか嬉しげに見えました。  父親は家へ帰ると、母親に印のことを話しました。  母親は驚きながらも「村のためになるなら」と、父親と同じようにやはり嬉しそうでした。  女の子には、なぜ母親と父親が嬉しそうなのかわかりませんでした。  ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎  その日から、女の子はきちんとご飯を与えてもらえるようになりました。  それまでは家族の残飯、それがなければ、食べられない日もありました。  女の子はお腹がとっても空いていたので、たくさんたくさん食べました。  母親も、父親も、それを怒ることなく、それどころかおかわりを勧めてくるほどでした。  女の子は、忘れかけていた幸せを感じました。  しかし、そんな女の子を見て面白くないのは、兄と姉です。  村人の注目の的になり、母親と父親から急にちやほやされだしたのです。  面白くない兄と姉は、母親に尋ねました。 「なぜ、あの子が可愛がられるの?」 「土地神様の、大事な贄だからよ」 「贄って、何?」 「贄とは、土地神様に捧げる物よ」 「捧げられたあの子は、どうなるの?」 「それはもう、食べられるに決まってるわ」  母親は兄と姉を抱きしめると、「あなた達じゃなくて良かった」と言いました。  女の子がちやほやされだした理由を知った兄と姉は、途端に面白くなりました。  母親や父親と同じように、女の子にごはんをもっと食べるよう声をかけるようになりました。  兄は木になる果物を取ってあげました。姉は衣のお下がりをあげました。  女の子は兄と姉に優しくされ、嬉しくてたまりません。  そのため、純粋な気持ちで、聞いてしまったのです。 「どうして、いきなり優しくなったの?」 「どうしてって、お前は贄だからだよ」 「贄って、なぁに?」 「土地神様の捧げ物だよ」 「捧げられると、どうなるの?」 「食べられちゃうんだよ」  兄と姉は意地悪に笑いました。  女の子は贄の意味を知り、驚き、悲しみました。  母親も、父親も、兄も姉も、村人たちも。みんな自分が食べられることを喜んでいる。  悲しいのは、自分だけなのだと。  ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎  女の子はその夜、みんなが寝静まった後、村から逃げ出しました。  月明かりだけの薄暗闇の中を、一生懸命逃げました。  村のみんながいない所へ。土地神様がいない所へ。  夢中になって走り、気づけば真っ暗な森の中。女の子はとうとう、迷子になってしまいました。  暗くて、怖い。  ガサガサと草木の揺れる音にびっくりしながら、見えない木の根に足を引っ掛けて転びながら、女の子は歩きました。  すると、暗闇の中に白い光が見えました。  もしかしたら、村の明かりかもしれない。  女の子は急いで、光の方へと走りました。  白い光はだんだんと近くなり、その姿を現しました。 「きつね、さん……?」  白い光の正体は、暗闇の中で煌々と輝く白狐でした。  女の子と同じくらいの大きさ。普通の狐より、大きいようです。  白狐は、猟師の仕掛けた罠にかかっていました。 「今、助けてあげるね」  女の子は白狐の足に絡みついた縄を外してあげました。  縄を外してもらった白狐は立ち上がると、嬉しそうに女の子にすり寄りました。 「ありがとう、娘さん。助かりました」 「えっ?」  女の子はびっくりしました。  白狐がしゃべったのです。 「娘さん、あなたにお礼をしたい。欲しいものはありますか?」 「ううん、ないよ。……きつねさんは、おしゃべりができるんだね」 「私は長生きをしましたから。欲しいものがなければ、してほしいことはありますか?」 「ないよ。でも、そうだなぁ。私のお話を聞いてくれる?」 「もちろんですとも」  女の子は白狐がちゃんと話を聞いてくれるのが嬉しくて、今までのことをすべて話しました。  白狐は相槌をうって、真剣に聞いてくれました。  柔らかな狐の声に、ついに女の子は泣き出し、白狐に抱きつきました。ふわふわの、とっても柔らかい白い毛が女の子を包み込みました。 「かわいそうな娘さん。私が、助けてあげましょう」 「本当?」 「でも、14歳になるまで待っていてください。成人の祝いの後、あなたを迎えに行きます」 「本当に、本当?」 「本当です。証拠に、この蝶にいつもあなたの周りを飛ばせましょう。季節を問わず、年を問わず、いつまでも」  白狐が言うと、どこからともなくひらひらと、ニ羽の黒い蝶が現れました。  黒い羽に鮮やかな朱色の模様の入った、大型の蝶です。 「約束ですよ。あなたを必ず、迎えに行きますから」  泣き疲れた女の子は、白狐の白い毛に包まれてうとうとと眠りはじめました。  柔らかくて、あたたかい。こんなに気持ちよく眠れたのは、一体いつぶりだったでしょうか。  ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎  村に帰った女の子は、それから毎日をつつがなく過ごしました。  白狐の言っていた通り、近くにはいつも黒い蝶がニ羽、ひらひらと舞っています。  女の子の家族や村人は気味悪がりましたが、黒い蝶に悪さをすることはありませんでした。  みんな、土地神様の使いだと思っていたのです。  それから歳を重ねるごとに、女の子の手の甲の痣は成長していきました。  女の子の手にしっかりと根を張った球根はやがて芽吹き、腕を伝ってぐんぐんと茎を伸ばしました。  その茎が肩まで伸びると、今度はたくさんの蕾をつけました。  14歳になる明日には、花開きそうです。  黒い蝶は、待ち遠しそうに女の子の肩にとまりました。  翌日は、村を挙げての盛大なお祝いが催されました。  具材のたっぷり入った大鍋に子供たちは群がり、心ゆくまで頬張りました。  大人たちは酒を大盤振る舞い。日が落ちるのを待たずに泥酔し、居眠りしてしまう者もいました。  さて、主役の女の子といえば。  伸ばした髪を綺麗に結い上げられ、今までに着たことのない豪奢な着物を着せられ、唇と目尻に紅を引かれました。  そこにはもう、これまでの女の子はおらず、とても美しい女性ができあがっていました。  村のみんなは、ほう、と息を吐きました。  そして、女の子の背中には、この日を待ってましたとばかりに大輪の花が咲きました。  まるで花火が開いたような、降り注ぐ火の粉までもが描かれた、立派な花でした。  だんだんと日が落ち始め、盛大に催されていたお祝いもそろそろ終わりを迎えようとしています。  女の子が土地神様へ捧げられてしまうのも、あとわずか。  あの白狐は本当に助けてくれるのでしょうか。  女の子は、不安になりました。  すると、黒い蝶がひらひらと女の子の元を離れて飛びはじめました。  ひらひら、ひらひら。どんどん離れて、暗闇に紛れてしまいそうになります。 「あ、待って……」  女の子は黒い蝶を追いました。  酔っ払った村人たちは気付きません。  村の外れまで追いかけ、村から届く松明の小さな明かりもなくなると辺りは真っ暗です。  目の前には、いつか迷い込んだ森が広がっていました。  黒い蝶は、女の子の周りをひらひらと一周すると、森の中へと舞い消えてしまいました。  そして、入れ違いに姿を表したのは、銀髪にも見える白髪をなびかせた麗しい若い男でした。白く豊かな毛皮をまとい、まるで貴人のようです。 「約束を果たしにきましたよ。娘さん」  柔らかな声に、見た目通りのおっとりとした口調。  麗しい男に見惚れていた女の子は、その声に聞き覚えがあることに気付きました。 「もしかして、きつねさん……?」  女の子がそう聞くと、麗しい男は「はい」と答えました。 「とても美しくなられましたね。待った時間は、無駄ではなかった」  麗しい男の姿の白狐は静かにつぶやき、女の子に手を差し出しました。 「共に来てくれますか?」 「……はい」  差し出された白狐の手に、女の子は自らの手をゆっくりと重ねました。  あたたかく、大きな手。優しく握ってくれる温もりに、女の子は途端に恥ずかしくなりました。  白狐が、麗しい男の顔で目を細めながら、女の子を見つめていたからです。 「行きましょう」  女の子の手を引き、白狐は歩き出しました。  女の子も慌ててついていこうとしましたが、それは必要のないことでした。  白狐はちゃんと、女の子の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれたのです。  ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎ 「大変だ。贄の娘がいなくなったぞ!」  ようやく女の子がいなくなったことに気が付いた村人たちは、大騒ぎしました。  村中をひっくり返して探し、それでも見つからず、土地神様の怒りに触れるのではと頭を抱えました。  その時、土地神様の印を唯一知っていた、村一番の年寄りが出てきて言いました。 「贄の家に、花が置かれていなかったか?」 「は、花?」  女の子の父親が不思議そうな顔で、急いで家を見に行きました。  すると、家の扉の前に、一輪の手折られた花が置いてありました。 「これは、彼岸花?」  女の子の背に咲いた花と、同じ花でした。 「土地神様が贄を連れていった証だ」  父親に追いついた年寄りが、言いました。 「手折った花を娘に見立て、証に置いていくのだ。白狐の土地神様に、手折られた娘は紅色の彼岸花」  ……別称を、狐花だ、と。  ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎  月の明かりも届かない真っ暗な森の中。  白く煌々と輝く麗しい男と、背中に大輪の花を咲かせた女の子。  はたまたは、手折った紅色の狐花を、愛おしく手に持つ白狐。  ニ羽の黒い蝶がひらひらと交互に舞い、まるで祝福しているかのように、優雅に飛び立ちました。  手を取り合った二人が、森深くに静かに消えていく。  その光景は、誰も見ることのない、一輪の花の最後でした。
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