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――モーツァルトは嫌だって言ったじゃない!
「あれショパンなんだけど」
――え?
「あれ、あんたの勘違い。彼の意味深なエピソードのせいで思い違いをしてる人、あんたの他にもけっこういるんじゃないのかな」
亜由美は今、私の部屋で恨めしそうに繰り言を言っている。
モーツァルトはある日、大金持ちの使いだと言う男から、高額な前金で当主の葬式に使う曲を依頼された。
その後ひどく体調を崩したモーツァルトは、仕上がり具合を聞きに来た男に「まだできていない」と答える。
すると男は何も言わず、黙って消えてしまった。
「まさかこれは自分のための曲なのでは‥‥‥」
しばらくしてモーツァルトは亡くなった。
――うそ‥‥‥
亜由美は愕然とし、しばらく何か考えているようだった。
私を見て、頬を膨らませる。
――知ってたんでしょう!? なんで助けてくれなかったのよ。
みんなに笑われて大変だったんだから。
史上最大に禍々しいBGMで天国に来た人がいるって!
「さあね。それを言うならあの時、変なカッコつけて好きな曲を言わなかったあんたも悪いんだよ」
──う、だって‥‥‥
『じゃあ亜由美はどんな曲がいいんだ?』
音楽室であの話題が出た時、そう聞いてきたのは亜由美の想い人だった。
『え~? うふふ。ひ・み・つ』
「なぁんてかわい子ちゃんぶるから」
──やってみたかったんだもん。週間マー〇レットみたいな一場面
「さいですか」
そのワンシーンの効果があったかどうかは知らないが、後に想い人はみごと亜由美の旦那さんとなり、亜由美自身が看取っていた。
──今もあの人にしょっちゅう言われるんだから。いや~あれはすごいインパクトだったな~って
頬を赤らめながら唇を尖らせる。
「別にいいじゃん。これからずーっと一緒にいるんだから、笑えるネタいっぱいある方がいいって」
──そうかな!?
「そうだよ」
亜由美の顔が輝く。
「もう行きな。旦那さん心配してんじゃない?」
「そう思う? 」
「うん思う」
「じゃあ行く! またね」
「ん‥‥‥」
腹立つなあ。
なんとか手を振ろうとしたけど。
もう、拳で枕も叩けやしない。
のろけやがって。
私、あんたが大嫌い……大嫌いだったんだからね。
あんたって娘は、ほんとに最期の最期まで私の気持ち、全っ然わかんなかったよね。
罹病した時、『これであの人のとこに行ける』なんて‥‥‥
置いていかれる人間のこと、少しも考えてなかったよね。
私といた時間の方が、ずっとずっと長かったのに。
ピアノソナタ第二番変ロ短調『葬送』
これは私からのせめてもの贈呈品。
向こうに逝ったら取り敢えず謝ってあげる。
ああ不思議、あんなに辛かった身体が軽い。
ゆっくりと目を閉じながら、私は病院のベッドで思った。
そう言えば私の好きな曲、みんな知っていたかしら。
(完)
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