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12年前
この日のために買ったおニューの浴衣を着て、待ち合わせ場所の神社の前で彼氏が来るのを待っていた。
時刻は一八時五七分。花火大会が始まる三分前だ。
なんとなくソワソワして、腕時計と手鏡を何度も交互に見てしまう。
浴衣、変に思われなければいいけれど。
「悪ぃ! 遅れちまって!」
謝罪の言葉とともに、鳥居の下に転がり込むような勢いで汗だくの彼が登場した。
自分だけが浮かれているのではないかと不安だったから、走って来てくれたらしいことに、一応彼も楽しみにしてくれていたのだろうと少し安堵した。
「大丈夫よ、まだ時間前だから。ギリギリだけどね」
膝に手をついて肩で息をしていた彼がもう一度「悪ぃ」と言って顔を上げる。
「着てきたんだな、浴衣」
いきなり浴衣について触れてきた彼に、私はびくりと肩をちぢこまらせた。
鈍感な彼のことだからと油断して心の準備ができていなかったので、ついどぎまぎしてしまう。
「まぁね。今日は、特別、だし」
期待半分、不安半分で彼の次の言葉を待つ。
「良いんじゃねーの? 風情があって」
たった一言残して、彼は歩き出した。
「どうした? もう花火大会始まっちゃうぞ」
「……あなたが遅刻したからじゃない」
呑気な顔で振り返った彼に精一杯の皮肉で返した後、私は急ぎ足で彼の隣に並んで屋台通りに向けて歩きだした。
屋台通りは想像以上にたくさんの人が密集していた。
私の地元の花火大会は、全国から人が集まるような大規模なものではないけれど、この小さな町の数少ないイベントの一つとして、地元の人達から愛されていた。
私ははぐれないように彼の服の袖を摘まみながら、人混みを縫うようにして進んでゆく。
「なぁ、たこ焼き食べようぜ! あとわたがしに、唐揚げに、りんご飴も!」
彼は小さな子供のようにはしゃいでいた。その無邪気な笑顔につられて、私も自然と笑顔がこぼれた。
手当たり次第に買ってきた物を手分けして持ちながら、落ち着ける場所を探していると、屋台通りの先で運良く開けたスペースを見つけたので、二人してしゃがみ込んでみた。花火は見えづらいけど、買ってきたものを食べるには良さそうだ。
私はわたがしを少しつまみ、口の中で転がしながら言う。
「私、屋台の食べ物ってあまり美味しいと思わないわ」
「こういうのは雰囲気を楽しむものなんだよ」
「そうなの?」
「こうやって花火の音を聞きながら、りんご飴をガリっと! おつなもんだろ?」
「ふーん、私にはよくわからないわ。だけど、そうね……」
この時不意に、以前一度だけ彼が手料理を振舞ってくれたことを思い出した。せっかくなので、さっき乙女心を傷つけられた意趣返しをしてやろうと思った。
「あなたが作ったカレーと比べれば百倍美味しいわね」
「おい! 百倍はさすがに言いすぎだろ! そりゃ、確かにちょっと失敗したけどさ」
「私、市販のルーを使ったカレーなんて、誰でも作れるものだと思ってたわ」
拗ねて唇を尖らす彼の顔に、やっと少し溜飲が下がる。ふふっと笑って、私はあの時の味を鮮明に思い出す。
彼のカレー。
具は形がまばらな上に生焼け、ルーはビチャビチャ。お世辞にも美味しいと言えるものではなかった。
だけど本当のところ、私はそのカレーを嫌いじゃないと思った。なんというか、とても彼らしいカレーな気がしたから。
「ほんと、花火以外のことはからっきしなんだから」
そう言って私はもう一度、ふふっと笑った。
時刻は一九時四〇分。
大量の食べ物を何とか処理し、あとは大会の終了時刻までじっくりと花火を堪能するのみ。
「ねぇ、ちょっと歩きながら見ない? 二人になれる場所に行きたいのよ。……最後だし」
「……おう。でも、どこか心当たりあるのか?」
「ええ。特別に秘密の場所、教えてあげるわ」
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