ジプシーウォーター 彼の香り

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牧田さんとは、今年の2月、あるホテルで行われたバレンタインデザートショーに俺、御園(みその)(じゅん)の店『アンジュ・ド・ヴィオレ』を出店したのがきっかけで知り合った。 ミーティングの時ホテル側の関係者席に牧田さんはいたらしいんだけど、俺は会場の様子や当日の説明の方に意識が行ってて全く気付いてなかった。 だからショーが終わって一、二週間する頃、店に牧田さんが現れた時は、初めて見る珍しい男性客ってだけだった。 見るからに上質そうな生地のスーツ姿の体格のいい彼とスイーツショップってのが笑えるほど合ってなくて、おまけに買い占める勢いでケーキを買っていったもんだからその時は一発で記憶に残った。 それから最低でも一週間に一度は顔を見るようになって……寡黙な彼とはめったにお喋りすることはなかったけど、普通に好印象。 清潔な指先、手入れの行き届いてる服や時計、靴から伺える潔癖そうな気質。知的で落ち着いた物腰。 歳は聞いたことはないけど見た目四十台前半ってところ。後で渡された名刺から、あのホテルの一連のイベントを任されてるイベント企画運営会社の代表取締役ってことが分かった。 自分とは縁のない人物。そう……俺は珍しく、彼が同類だと気付かなかった。綺麗な奥さんが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、まだ小さい娘が一人いて……そんな風に勝手にイメージしてた。 そんな牧田さんとの関係が変わったのは、彼が俺の店に通うようになってひと月くらい過ぎた春の夜のことだった。 閉店後の店に現れた彼がいきなり「付き合ってくれ 」って…… 「どこへ?」 そう、ジョークじゃなく素で言ったっての。そのくらい俺の中では無い可能性だった。 だからワンテンポ遅れて言葉の意味が分かった俺が即座に断ったのは、好みじゃなかったからっていうわけじゃない。 ここ最近恋愛から離れてる自分がその感覚を忘れてたからってのもある。 牧田さんの放つ完璧主義と潔癖症っていう自分と似た要素を敬遠したってのもある。 でも何よりでかかったのは、この人が俺に恋をする筈が無い、もしそうだと言うなら俺の見てくれに騙されて幻想を抱いてるんだっていう一種の嫌悪感からだった。 昔から綺麗だイケメンだ、容姿に恵まれたことを両親に感謝すべきだと何度となく言われてきたけど、聞く度に人の気も知らないでって思ってた。 俺の外見に惹かれた人間に過剰な期待を寄せられたことは多々あって、無防備な思春期に傷つけられた経験が俺にそれを毛嫌いさせていた。 綺麗な外見に見合うように内側もお綺麗なわけじゃない、とまるで反発するように奔放に寝るようになったのはそのせいもあるかもしれない。 それか……ただの寂しがりか。 この容姿で唯一良かったのは体の寂しさを埋める相手を探すのに苦労がなかったことかもしれない。 そういうわけで、俺は好意を持って近づいてくる人間に対して疑り深い。 特に、牧田さんみたいに俺のどこが気に入ったのかはっきりした理由が分からない場合は余計。 だからセックスの経験値は高めの割に恋愛ってほとんどしてない。 それで良かったんだ。幸い仕事はすこぶる順調。湧き出るアイデアを次々形にして、自分の店ですぐにその反応が見られるパティシエって仕事は天職だと思ってた。 仕事8割、プライベート2割。興味のあることは尽きなくて、2割の中に恋愛を入れてるヒマはない。体の渇きは相性のいいセフレで満たせば十分。 そんな人間だからさ。牧田さんとは住む世界が違いすぎるだろ。 そう思って交際を断ったのに彼はなかなか諦めてくれなくて── 「だから……しつっこいな、あんたも。無理だって。俺今付き合ってるヤツいるから」 「嘘だ」 「嘘じゃねえし。なんで言い切るんだよ」 「調べさせた」 「は……」 絶句だよ、絶句…… 「帰れ!」って店から押し出してドアを閉めたら「今日の所は帰る」そう言って帰って行ったものの、そこで事が終わらないのは分かりきってた。
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