ジプシーウォーター 彼の香り

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この日はもう……開店して初めてってくらいミスを連発した。 それも、クソみたいなミスばっか。 ムースにゼラチン入れ忘れたり、タルトのピケを忘れたり、シューが焼成不足で膨らまなかったり…… 「御園さん……あの……今日、私たち頑張りますんで、休んだ方が……」 スタッフにまで迷惑かけて……恋愛でこんなことになるなんてサイッテーだよ。大嫌いだった。そういうの。プライベートはプライベート、仕事は仕事だろって。 「いや……やるよ。ごめん。ほんとに気を付ける」 いつもの3倍気を張って仕事して……クローズする頃にはいつもの10倍疲れてた。 休み時間にも怖くて見られなかったスマホを、意を決して取り出せば、案の定伸一さんからの電話とLINEとが俺を待ってて…… でも電話の着信は一回。LINEも一件。 20:38 羽田に着いた。今から帰る。 文章から見えない感情が怖い。 着信の少なさが怖い。 俺はスマホを握り締めたまま、じっと固まってた。 4日前のあれがなければ今頃は、片付けも着替えも超特急で済ませて伸一さんのマンションに直行してるところ。 彼のお気に入りのおつまみを用意したり、風呂を沸かしたりして帰りをワクワク待ってただろう。 時計に目をやれば9時を少し回ったところで、あと30分くらいで伸一さんが帰って来てしまう……どうしよう…… どうしようって言っても、選択肢はあまりない。 逃げられないのは分かり切ってるし、逃げたいわけじゃない、ほんとは…… じゃあ今から彼のマンションに……? 到底そんな気になれない。 今は会いたくない…… とにかく連絡だけはしとかないと、と思ってLINEにメッセージを入れた。 『お疲れ様。電話できなくてごめん。また連絡します』 そしたら……いつもと違ってすぐに既読がついた。そこに伸一さんの存在を感じて、ドキッとして……スマホを握り締めたまま彼の次のアクションを待ってしまう。 案の定、震えだした手の中のスマホ。 いつか来ることは分かってた瞬間が突然目の前に現れて、けどなかなか電話に出られない。 そのうち留守電に切り替わった電話は、録音されることなくすぐに切れて、ほっと息を吐きつつ何も解決してない状況に体は緊張し続ける。 再び、手のひらに感じる振動。LINEの着信の合図。 見れば『まだ店だろう。今から行くからそこにいろ』って…… 思わず唾を飲んだ。 待って!!って叫びたかった。
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