ジプシーウォーター 彼の香り

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『来ないで。今日は疲れてるから。明日、また連絡する』 『今タクシー?行先変えてもらって』 『もう帰るよ。来てもいないから』 メッセージを送っても、既読にはなるのに返事が返って来ない。 伸一さんは俺の性格をよく分かってる。 返事をもらわないまま無視して帰るなんて俺が出来ないって事。 片付けも着替えも終わってあとはもう店を出るだけなのに、厨房だけに明かりのついた薄暗い店内をウロウロしてしまって…… やがて店の前で車のヘッドライトがぴたりと止まって、心臓まで止まりそうになる。 来た……! せめてもの抵抗に慌ててドアに鍵をかけてカーテンを引く。 どきどきと外からでも聞こえそうなほど鼓動は強く、速く…… ──コンコン 思わず息を潜め、動きを止める。 「潤。そこにいるんだろう。ここを開けろ」 ガラス1枚を隔てた遠い声。でも……すぐそばにいる、伸一さんが…… 「来ないでって言ったのに……なんで来るんだよ……!」 「いいから早く開けろ」 「いやだ……!」 「訊きたいことがある。君も私に言うべきことがあるだろう」 きゅっと胸がひきつる。 それは昨日のことに違いなかった。 伸一さんとの約束を破って飲みに行って、飲み過ぎて正体を無くして、遥の部屋に泊まった…… 罪悪感でいっぱいになって追い詰められた鼠が歯を立てるように、叫ぶ。 「伸一さんだって……!俺に言うことがあるだろ……!」 聞きたくないくせに。 脳裏に翻ったあの男と伸一さんのリアルな抱擁の妄想が、胸の奥を傷付ける。 「何を言ってる……私が訊きたいのは君が昨夜、何をしていたかということだ。誰と、どこで、何をしてた」 詰問口調は心の鎧をかき集めさせ、素直だった自分が幻のように消えてゆく。 「そんなの俺の自由だろ……大の大人がなんでそこまで言われなきゃなんねえの」 涙がほろっと零れた。 滑稽だ。 恋愛は人を愚かにする。 自分の気持ちひとつコントロールできない…… 「言えないようなことをした、と……そういうことだな……」 伸一さんがたどり着いた結論をストレートに否定できずに口をつぐむ。 「君が複数の男と寝ていたことは知っていたが……まさか今も続いていたとはな」 いつも静かに話す伸一さんの、ぞっとする冷たい声。 恋しくて……哀しくて……俺は俺の名前を愛しげに呼んだ彼を探して……「そんなことしてない!!」って叫んでた──
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