数日と三年

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数日と三年

 顔を上げた僕は、紀伊國屋書店に行こうと決めて左へ足を向けた。歩き始めた新宿通りの先にABCマートが見える。  やはり三年は長すぎたのだ。忘れてしまっても、バカバカしいと思い始めたとしても、ちっともおかしくはない。百パーセントの期待を寄せていたわけではなかったけれど、僕の心は、やはり無事ではなかった。 73a6e225-2165-49ba-a9ef-bbc9aafbabfa  とそのとき、背後から声が聞こえた。 「権蔵さん!」  振り向くと肩で息をする杏奈さんがアルタの前をウロウロしていた。 「床野です!」  鮮やかな黄色のワンピースを着ている。    あぁ、ちょっぴり大人になったな。しばらく見つめた僕は小走りになった。こちらを見た彼女は大きく目を見開いた。 「権蔵さん?」 「権蔵さんは、下に住んでいるひとです」  足元を指差した僕に、彼女は春の日の木漏れ日のように薄っすらと笑った。 「日にちを勘違いしてました。気づくのが遅れてしまって」 「いや、来てくれただけで嬉しいよ。諦めてたから」 「一時間以上の遅刻だもんね」彼女はまた、柔らかく笑った。 「黄色」 「あ、読んだんですね。天井にくっついてなかったから取ったんだなとは思ったんだけど」 「最初は穴を塞がれたんだと思ってショックだった」  今度は声に出して、あはっと笑った。 「でも、よく覚えてましたね」 「だって手紙を読んだのは、二日前の夜だから」 「あ、そっか……でも不思議。本当に三年経ったんですよ。いろんなことがあった三年間」  片時もとは言わないけれど、覚えていてくれた。それは容易なことではないはずだ。彼女が過ごした三年を、僕は返してあげることができない。  そうだ。僕が穴に驚いたときも、彼女の部屋を覗き込んだときも、天井から声をかけられて仰天した夜も、目の前に立つ彼女はそれを覚えていて、ずっとこの世界にいた。  それは不思議なことで、それ以上に、とても愛おしく思えることだった。  僕が彼女を知ったのは数日前だけれど、彼女は僕を三年前から知っていたのだ。  おかえり。僕はねぎらいの目で彼女を見た。 「三年をどうやって取り返そう」彼女が左右に体を回すと黄色いワンピースがふわりふわりと揺れた。 「ごめんね、僕は数日なんだ。僕が何とか埋め合わせを……」  なぜだか僕たちはしばらくのあいだ笑い合い、ほんの少し指先を絡めた。 ─fin─
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