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杉本権蔵
次の日の夜、穴は一回り大きくなっていた。単行本で塞げるか怪しいサイズだけど、隠さなくてもいいことは昨夜実証ずみだ。
すでに明かりがともっている穴に顔を傾けて覗いてみると、テレビでも見ているのかベッドを背もたれにしてちんまりと座っていた。
さっき確認したことがあった。彼女の名前だ。集合ポストにはこう書かれていた。
『杉本 権蔵』
ごんぞうとは、なんとも時代がかった名前だ。彼女は権蔵の恋人なのだろうか。今夜あたり権蔵が帰ってきて、彼女とくんずほぐれつしちゃうんだろうか。
権蔵というからには筋骨隆々の男で、小柄な彼女なんて渓流に浮かぶ木の葉のように、うりゃうりゃと弄ばれるのだろうか。早く帰って来いと思う心と裏腹に、絶対来るなと拒否する自分がいる。見たい。でも、見たくない。
僕は彼女をジュリエットと名付けた。
幸い権蔵は帰ってこなかった。翌日の日曜日、彼女がまだいることを確認して部屋を出た僕は、道向かいにある駐車場の植え込みに腰掛けて、ドアが開くのをひたすら待った。
スマホを開いて絵彫りスタで小説を読んだりYouTubeを聴いたりした。マンションから目を反らすわけにいかないから、いきおいお坊さんがお経を読むような正しい姿勢になった。
期待より早くドアが開き、男が出てきた。権蔵か? いつの間に部屋にいたのだ。見た目は大学生ぐらいで名前に似ずひょろりと頼りなげな男だった。
続いて女が出てきたが、ジュリエットではなかった。事態が飲み込めない僕は、確かめたくて立ちあがった。
「こんちは」声をかけると、権蔵は面食らった顔をした。
「僕んちの下の部屋なんですね。あ、今ドアが閉まったのが駐車場から見えたもので」
「あ、はぁ」
「ふたりでお住まいですか?」微笑みかけた彼女はちょっと困った顔をした。
「いえ」権蔵は答え、彼女ですと付け足した。
「他にはどなたも?」怪訝そうな顔で権蔵は頷いた。
ということは、見えているのは下の部屋ではない、ということになる。
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