お迎えにあがりました。

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私の仕事は単純明快だ。 死んだ"人の魂"を迷わない様に迎えにあがるのだ。 たまに死神と間違われるが、死神ではない。 ただの道先案内人だ。 ちなみに死神は私達のボスだ。 私の担当は、かつてアジアの東の果てと言われた国。 日本。 私がこの国の担当になってから、およそ100年が経つ。 元来、私たちの寿命は果てしなく長い。 (それは人間時間に換算したらの場合だが。) 時間の概念の基軸が違うのだから、私たちにとって、人の生死は、たとえ100歳まで生きた人でさえ、そうたいして、長いとは思わない。 だから、私はこの日本を担当して、"たった100年"の新人なのだ。 この国を担当して、不思議なことが一つだけある。 この国の人は私を見ても、あまり驚かないのだ。 どうも、"死ぬこと"を"迎えが来た"という言いまわしで言う事がある様なのだ。 だが毎回簡単に仕事を遂行できる訳でもない。 中には、まだ死にたくないと喚き散らし、迎えを断る輩もいる。 そういう時は私達の出番は終わる。 喚けば喚くほど、黄泉の国の奥、深い底から、その叫び声を餌にする"黒いアレ"が来るのだ。 私たちはその"黒いアレ"と相性が悪い。 だから、喚き散らす魂は、とっととその"黒いアレ"にくれてやることにしている。 "黒いアレ"に食われた魂の行方は、私は知らない。 知る必要もない。 私の管轄外だからだ。 そして、たまに何の間違いか、生きるべき魂が死んでしまう時がある。 そんな時は、送り返す担当に引き継がれる。 私はこの"引き渡す時"がとても好きだ。 なぜならどの魂も、セカンドチャンスがあるという事に感激し、私に「ありがとう」と言うからだ。 引き渡しを終えた魂は、また人の体に送り返される。 それを送り返す担当と共に見るのが、私のひとときの楽しみだ。 又、こんな事もある。 突然死の場合だ。 本人が死んだことに気がつかない。 この国では死を受け入れるまでに49日の猶予があるようだから、この場合その期間に死を受け入れる準備をさせる。 世話になったところに挨拶がしたいと言えば、夢枕に立てるように、夢枕係に連絡をとって、一旦引き継ぐ。 私がつきっきりで側に居てやるわけにはいかないからな。 で、挨拶が終わった頃、49日目にまた迎えにいく。 その時の魂の綺麗な事といったら、この上ない。 全ての縁を結んだ人に、ありがとうと言って回り、 すっかり満足して清々しいくらいに清い魂になっているのだから。 あれは何度見ても美しいと思う。 そして、そんな風に死を受け入れられた人間は、私との別れの際にも、礼を言ってくれる。  "迎えに来てくれてありがとう" この言葉を聞くと、この世は全て感謝で出来て いるんじゃないかとすら思う。 人は散り際が肝心。 死んだ時に魂の本当の姿が現れる。 人の魂を迎えにいくのは、なかなか面白い。 さて、今日もお迎えにあがりましょうか。 完  
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