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『死』には3つある
『死』と聞いて連想するのは肉体的な死であろう。
ただそれは『死』の1つでしかない。
筆者が今感じていることや
筆者の半生を振り返り『死』の自論を
読者は…いや、貴方はどう見るのか
1つ目の『死』は親しい者の肉体的な『死』である。
それは自身の心の一部が『死』を迎えたと言っても
過言ではない。
2つ目の『死』は自身の肉体的な『死』である。
「人は死を迎えた後は何処へ行くのか」これは
永久に答えの見付からぬ、そして見つかっては
いけない問題である。
3つ目の『死』は他者から忘れられる事による
「記憶」の『死』である。自身の肉体的な死を
迎えても他者の記憶に留められていれば
他者の中で生きているのだ。しかし残念な事に
人間は忘れる生き物だ。忘れられれば
自身は他者の中でも『死』を迎えたのである。
これが3つの『死』であるが、貴方は
『死』をどう捉え、感じ、受容するのか…
私自身は何度『死』を迎えるのか…
その答えはこれからの生き方に
よるのではないか?
私はそう考えている。
答えは1つでは無い
貴方なりの答えを見つけられれば幸いです。
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