僕の家には両親がいる

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 結婚を決めた彼女の両親に挨拶をしに行くことになった。付き合い始めてから数年になるが、彼女の実家に行くのは初めてだった。  彼女がすまなそうに言った。 「少し、不安で。だから連れてこないようにしてたの」 「不安?」  地方の寂しい駅に降り、バスを待ちながら話をする。 「前に付き合っていた人がうちに来たことがあるんだけど、その時に何ていうか……その家だけの文化みたいなのあるじゃない? それがその人の家と違っていたみたいで、別れることになっちゃって。だから『この人なら大丈夫』って思える人じゃなければ家に招くのはやめることにしてたの」  前の恋人の話なんて気分良くないよね、ごめんね、と彼女は謝る。 「良いよ。それってつまり、『僕なら大丈夫』って信じてもらえたってことだろ?」  育ってきた環境が違えば色々な事が違っていて当然だ。地域によって醤油の味だって違うだろうし、家によっておかずを大皿に盛るかひとりずつに出すかなども違うだろう。 「何がそんなに違ってたのかな」 「父親の立場っていうのかな。それがね」 「尻に敷かれてるとか?」  彼女は可笑しそうに笑った。「そう。父親がそういう扱いを受けてるのは信じられないんですって」 「じゃあ、お母さんが家の支配者というわけだ」  言い方、と彼女がわざとらしく顔をしかめる。 「お父さんがいつも見守ってくれているって、ちゃんとわかってるわ。尊敬しているの」  それなら良かった、と僕。「君の尻に敷かれてしまってはたまらない」と言うと「駄目なの?」ときょとんと返されてしまった。  バスを降りて数分歩くと、彼女の実家はすぐだった。途端に緊張して体が固くなる。 「お母さんがごちそう作って待ってくれてるんだから、潔くチャイムを押しなさい!」  ぐいと手を引かれてチャイムを押すと、軽やかな足音がして笑顔の女性が出てきた。 「いらっしゃい! どうぞ上がって」  にこにこと促され、あれよあれよと言う間に室内に招かれてすとんと座布団の上に座らされていた。 「堅苦しい挨拶なんて要らないし、緊張もすることないのよ。この子の旦那さんになってくれるなら、もう家族だもの」 「は、はあ……」  すっかり気圧されてしまう。卓の上にはごつごつとした湯飲みが置かれ、勧められてそのお茶を一口すする。所在なく部屋の中を見渡し、ふとひとつのランプが目に留まった。 「さあ、召し上がれ!」  ほんの少し目を離していただけなのに、食卓には母娘が運んできた料理が並んでいた。手伝いどころか挨拶さえまともに出来ていない。「娘さんを僕に下さい」はいつ言えば良いのだろう……と思い、はたと気づく。 「お義父さんはどちらに?」  座布団から離れ、畳に手をつく。 「ご挨拶をさせて下さい」 「そんなに畏まらないで」  お義母さんはころころと笑った。 「夫もあなたのこと気に入っているわ。とても嬉しそうだもの」  部屋を見渡すがお義父さんの姿は見えず戸惑う。 「えっと……どちらにいらっしゃるのでしょう……?」  すると先ほど僕が目を止めたランプを彼女が笑顔で持ってきた。温かみのある電球が灯っているそれをくるりと回す。――と、そこには人の顔があった。  ランプシェードは人の顔の皮で出来ていたのだ。 「いつもこうして私たちを照らして見守ってくれているのよ」と彼女。シェードとなった彼女の父の顔はぎゅうと縮こまっている。 「これもね」とお義母さん。クッションのカバーを見せて「夫の皮で作ったの」と言う。  僕は畳に手をついたままシェードとカバーを見る。「は……」とだけ声が出た。痙攣するように頭が動き、卓にぶつかる。その拍子に湯飲みが目の前に転がった。よく見ると、湯飲みには指が埋め込まれていた。 「この子と結婚して子供が生まれたら、どうかあなたもこうして家族を照らし包む、そんな存在になってね」 「は……」とまた息のような声が漏れる。 「大好きなお父さんが見守ってくれるなら、家族は幸せでいられるわ」  彼女が僕にふわりと腕を絡める。僕に信頼を寄せる瞳。  ――僕は我を忘れて彼女を突き飛ばすと、叫びをあげて家を飛び出した。  長い時間をかけて自宅に到着した。吐き気が酷い。  家族をあのようにバラバラにするなんて。それを加工して日常で使用するだなんて。肩を抱き込んで体の震えをどうにか抑える。 「……ただいま」  声をかけて部屋に入る。おかえり、と両親が返事をした。 「……ひどく、怖い目にあったよ」  二人の腰掛ける椅子に向かう。近づきながら、二人の服をそろそろ春物に変えた方がいいな、と考える。 「結婚は駄目になったよ、ごめん」 落ち込まないで、と母。次があるさ、と父。  両親を前にすると心が安らいだ。母は完璧で父も完璧で、どこも損ねるべきではない。あるべき姿を分解するなどあり得ない。尊敬し親しんだ家族の形が変わるなど耐えられない。  ――こちらにおいで。 「うん」  処置を施して美しい死体となった両親の前に跪くと、僕は子どものように二人の手に頬を寄せた。
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