無駄

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無駄

女というものは、むだがお好き。 写真一枚撮るにしたって、本当に撮りたいものを真ん中に置いたら、それだけで満足してしまって、背景はごちゃごちゃしている。 道端で誰かに出会った時の井戸端会議。用件だけ伝えればいいものを、先日街で見かけたかわいい雑貨や、にくたらしい子供の悪口を、いつまでもいつまでも、呪文のように口から吐き出す。昨日あったいやなこと。はやりのお菓子。泡のようにぶくりぶくりと、幼稚な頭に浮かび上がり、口に出した途端、なかったことのように消えてゆく。 文を書くにしたってそう。よく言えば表現に富んでいるのだろうけど、誰々さんがああ言った、と書けばいいものを、誰々さんが、指先で髪を弄びながら、かわいこぶりっこをしたような甲高い声でああ言った、なんて、まわり道をしたように表現するのがお好き。絵を描くにしても、色とりどりの飴玉やら、ふわふわとやわらかい綿菓子のようなものを漂わせて、いかにもかわいらしく飾りつける。ああ、むだなことこの上ない。 そういうわたくしも今、このむだな文章を、あなたに向けて書いています。庭にはあけびが咲き始めました。もうすっかり春でございます。ご存知でしょうが、わたくしの住む田舎町には、青々とした山々と、生命を感じさせるような田んぼと、空を我が物顔で飛び回るキジバトが、昔話のように溢れているのでございます。 どうか、笑わないでくださいませ。田舎娘のわたくしは、胸元まで伸びた黒髪を一つに束ねる鮮やかな紐すら持ち合わせておりません。体の芯まで凍えるような冬を越し、耕す前の汚い田んぼのように荒れ果てた肌。この、肌の赤みを隠すような都会のおしろいも、持ち合わせておりません。そんなしゃれたものを持つ必要はない、と、昔から母は言うのです。人というものは、美醜関係なく、この人だと思った人と一緒になるのだから、それをむりにとりつくろってしまえば、いざ本当の顔を見せた時に、愛情が波のように引いてしまうかもしれぬ、それなら始めから、ありのままの自分でいたほうがよい、と言うのです。 わたくしもつい一年ほど前までは、なるほど、そういうものかと納得して過ごしてきましたが、鏡の前に座り、汚い自分の顔をいざ見ると、どうしようもなく恥ずかしくなり、外に出ることすら億劫になってしまうのです。 だってそうでしょう。もしすべてを照らし出すお日様のもとに飛び出して、すれ違った人々に、ああ、醜いなぁと思われてしまったら。いいえ、別に、誰にそう思われてもいいのです。もし外で洗濯物などを干している時に、ふらりとあなたが現れたら。そして、この吹き出物の浮き出た赤ら顔を、そのガラス玉のように美しい瞳に映してしまったら。わたくしは胸がぎゅうっと詰まって、息ができなくなり、そのまま死んでしまいます。 ああ、いやだ。用件だけを伝えるつもりでしたのに、なんてことを書き連ねているのでしょう。どうか、お許しくださいませ。本当に女というものは、むだを好む生き物なのです。好きな殿方に少しでも気に入られようと、いつもより濃くおしろいを塗ったり、食事を出すにしても、十分な量を用意するだけでは気が済まず、想い人の好みのものを一品足したり、薄っぺらい唇にどうにかして接吻をしていただこうと、桃色の口紅をぷっくりと塗りたくったり。 女というものは、本当にばかな生き物です。こんなことをお伝えするために筆を取ったわけではないのに、わたくしの拙い文字があなたの目に触れると思うと、意地汚い、欲が出ます。一秒でも長くわたくしのことを考えてほしくて、ついついむだなことを書いてしまうのです。そうして、肝心の、本当に伝えたかったことは、なぜだか書く勇気が持てなくて、次に会った時直接口で伝えようという結論に至りました。 どうか、お許しくださいませ。今はこの言葉だけをお伝えしたく思います。もしかしたらこの感情すら、むだだとお思いになるかもしれません。この言葉をあなたに届けることすら、むだなことかもしれません。それでも、こうして文をしたためることを、どうかお許しくださいませ。 早くお会いしとうございます。
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