虚像

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虚像

「これ、自分がモデルでしょ」 そう言われるのが心底嫌いだ。他の人生を歩みたくて、他の世界を構築したくてここまでやってきたっていうのに、なぜ妄想の世界まで自分と同じ人生を歩まねばならないのか。1パーセントの経験を99パーセントの嘘で塗り固める、それが創作というものじゃないか、なんて思っている。わたしの人生の何を知って、わたしの何を見て、「実体験?」なんて聞くのか。腹立たしい。 まぁ、かくいうわたしも小説を読んでいて「これは作者の実体験かな」なんて想像することがある。あまりにもリアルで、そのリアルさを繊細に描くには経験しかない、なんて思ってしまうからだ。思うだけで、本人には決して言わない。 それでも自分をモデルにして別の人間を作って、妄想を垂れ流すなんて、そんなおそろしいことはできやしない。少しでも何かを感じとって、少しでも誰かの心に響くならそれでいい。そんなささいな願いしか持っていないのに、なぜ自分の人生を他人にひけらかさなければならないのか。羞恥がすごい。 1パーセントの本音を99パーセントの嘘で塗り固めている。何か理不尽な感想を言われた時に「いや、これはあくまで創作だから」と言い逃れができるように。なにか不都合があった時に、「所詮、妄想なんで」と言い訳できるように。 何気ない一言が全世界に発信されるような世界では、本音を言うことなどできやしない。横槍を入れられ、揚げ足を取られ、わたしの人生を1ミリだって知らないやつが、物知り顔で意見を言う。ばかだなぁ、と思う。思うだけで言わない。言わないとますます図に乗るから、近年では極力知り合わないようにしている。 先を読んでいる。いつだって。どうせこうなるだろう、どうせああなるだろう、こうしたらいいだろう、これは言わない方がいいだろう。そんなことばかり考えているから、婉曲な表現を探している。毎日がエイプリルフールであればいいと思う。 次いつ会える? なんて言ってはいけない。急かされるのがあなたは嫌い。わたしを選んで、も言ってはいけない。重たい女があなたは嫌い。 社交辞令でしょ、なんて言ってはいけない。嘘つき、なんて責め立てられたら、きっと離れていってしまう。ありがとうございます、と絵文字を添えて言うのがいい。 結果が分かっていることを口に出しても、やっぱり結果は変わらなくて、変わらない現状に飽き飽きしても、投げ出す選択肢をわたしは知らない。これ以外の生き方をわたしは知らない。 だから今日も妄想をする。 という、これもきっと虚言なのだけれど。
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