死にゆく世界で生きるぼくら

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死にゆく世界で生きるぼくら

14歳の時、世界が死んでゆく音を聞いた。それはメッキが剥がれるようにペリペリとしていて、耳を澄まさなければ聞こえないほど小さな音だった。神様の囁きのようなその音を聞いたのは世界で数百人ほどで、その中にはアメリカのお偉いさんや日本の科学者も含まれていた。 目立ちたがりの学者たちはしきりに終末論を力説し、その後3か月くらいは特番が毎週のように放送され、音を聞いていない人たちも「ああ、世界は終わるのかもしれない」というぼんやりとした危機感を抱き始めた。 とはいえやはりそれは、90年代末に流行ったノストラダムスの大予言のように不確かでバカげた祭りごとみたいなもので、なんの変化もない日々が続くと、次第に特番の視聴率も低迷し、半年後には終末論を語るものはいなくなった。テレビで特番を組まれることも、講話を行う者もいない。学校や職場でそれを口にする者は「古いやつ」と嘲笑された。 あまりにも急速に鎮火していくものだから、子供たちの間では「逆に真実なのではないか」と疑う者もいた。実は世界は本当に終わりが近づいていて、それを唱える者は口封じのために暗殺されたのではないか、と。それを象徴するように、終末論を熱弁していた穂積宗一郎という学者の消息がプツリと途絶えた。正確に言うと、彼をテレビで見ることもなくなったし、毎日熱心に更新していたブログがある日を境にぴたりと更新されなくなったのである。それをいいことに、子供たちは穂積宗一郎暗殺説を面白おかしく話のネタにするのであった。彼が本当に行方不明になったのか、はたまた単に怠惰になっただけなのか。一中学生のぼくには知る由もなかった。ひとまず、この音が聞こえることは誰にも言うまい。そう、胸に誓ったのである。 16歳の時、とある小さな島に巨大地震が起きた。家屋は崩壊し津波が襲い、その島の人口ほとんどが死に、事実上国は崩壊した。地図上から一つの国が消える様子を、テレビの映像で他人事のように見ていた。ペリペリという音はますます大きく、断続的に、耳の奥で鳴っている。またまた世界は死に近づいた。この日だけじゃない。アメリカでテロ事件があった時。どこかの動物が絶滅した日。ペリペリという音は雨のように静かに響くのだ。 だけどみんな、世界が死ぬことなんかに関心はないのだ。そんな大きなことよりも、テストの順位だとか、明日着ていく服だとか、好きな人のことだとか、そういうどうでもいいことの方がはるかに重要なのだ。だから今日も、脳天気なぼくたちは、死にゆく世界で生きている。
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