出雲クライシス

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「神も仏も……」という言葉がある。 世の儚さ、非情さを憂えた常套句である。 仏は知らんが神は確かに存在する。 本人が言うのだから間違いない。 俺の名は大国主命(オオクニヌシノミコト)。 これでもれっきとした古代神だ。 ピンとこなければ「ダイコクさん」でいい。 今は島根県の出雲大社で世話になっている。 国づくりの大役を終え、ここの祭神として祀られてから随分と経つ。 日本の民に永く愛され敬われて来た俺だが、最近になって悩み事ができた。 はっきり言おう。 出雲は今未曾有の危機(ピンチ)に晒されていた。 事の発端は一昨年に流行した新型感染症に始まる。 感染源であるウィルスの性質や発症プロセスなど大半が未知のものだった。 勿論治療薬も無く、治療方法も手探りだ。 打つ手の無い政府は緊急事態宣言を出し、厳格な外出制限を行った。 人が外出しなくなると被害を被るのは企業や飲食店だけでは無い。 観光地、とりわけ神社仏閣など参拝者により成り立っている所は大打撃となる。 そしてここ出雲大社も決して例外では無かった。 多い時で日に二十万人を数えた参拝者も今はゼロ。 数百人いた巫女や関係者も大半がリストラされた。 窮地に陥った運営者は何とかせねばと知恵を絞った。 観光の中心であるこの神社の衰退は町の死活問題にも繋がる。 連日の協議からある一つの案がまとまった。 参拝に来れないのであれば、来なくても済む形にすれば良い。 自宅に居ながらにして一連の諸作法を体験できる仕組み…… いわゆる、「オンライン参拝」だ。 ウェブカメラを携帯した担当者が鳥居前の一礼からスタートし、参道脇を進んだ後に手水舎(ちょうずや)で手と口を清める。 鈴を鳴らし、賽銭を投入したら厳かに二礼四拍手一礼。 門前での一礼までを録画しホームページで動画配信する。 視聴は予約制だ。 希望者には先の行程に境内の散策をプラスした『たっぷり満喫コース』も用意した。 運営の要となる『お賽銭』は金額の選択が可能。 クレジット払いもでき、ポイントサービスまである。 このいわゆる『参拝ポイント』は一定額貯まればお札や御守りといった神社グッズと交換できる。 つまり回を重ねる程お得な訳だ。 手探りで始まったオンライン参拝だが、蓋を開けると意外な程好評を博した。 特にスマホで出来る手軽さが若者の心を掴み、ポイントに目の無い主婦層からの支持も獲得した。 実際に訪れる者がいない分境内が汚れる心配も無く、清掃等の管理費も抑えられる。 当初の不安は一蹴され、出雲大社は外出制限前より収益を伸ばした。 これを手本にオンライン参拝は他の神社へも拡大された。 出雲中が歓喜に沸いたのは言うまでもない。 だが問題なのは此処からである…… 今年に入りようやく新型ウィルスの全容が解明され、急ピッチで開発されたワクチンも一般接種が可能となった。 治療薬も調合され薬局に並ぶようになる。 こうなるとさすがの感染症も右肩下がりに激減し、次第に『風邪と同格』といった認識に変わっていった。 緊急事態宣言の解除と共に外出が解禁となり、多くの人が仕事や遊びを再開した。 起死回生した観光業のもと、当然神社にも人が押し寄せると思われた。 が…… 実態はその逆だった。 ─ 交通費がかからない ─ 混雑に会わない ─ いつでもどこからでも参拝できる すっかりオンライン参拝のメリットに魅了された参拝者は全く足を運ばなくなっていた。 頼みの信者も大半が高齢者のため、どうしても体の楽な方を選んでしまう。 愛好家やマニアもネットでのグッズ購入の方に熱中した。 運営側もコストメリットの高いこの仕組みの中止には消極的だった。 最早感染症云々の問題では無い。 誰もが現地に赴いて参拝する必要性を感じなくなっていた。 そんな人間界を眺め、祭神たちは溜息を漏らした。 「なあ、ダイコクちゃんよ……」 鎮痛な面持ちで話しかけてきたのは須佐(すさ)神社に住む須佐之男命(スサノオノミコト)だ。 何故かいつも俺の事を愛称で呼ぶ。 「来ねえな、人間たち……」 たっぷり七尺はある巨体が寂しそうに揺れる。 「せっかく感染症も短期間で収めてやったのになんて薄情な!」 背後でヒステリックに叫ぶのは日御碕(ひのみさき)神社の天照大神(アマテラスオオカミ)だ。 せっかくの美貌が吊り上がった目尻で鬼の形相になっている。 「仕方ないのう。ちっとでも楽な方に(なび)くのが人間という輩じゃて」 悟ったような台詞を吐くのは万九千(まくせ)神社の少彦名命(スクナヒコナノミコト)だ。 幼稚園児ほどの小柄な体躯は長い白髭の中だ。 事態を憂慮した出雲の神々が俺のいる出雲大社へ緊急集結していた。 ここで何故参拝者の減少がそれ程問題なのかを説明しておこう。 俺たち古代神は人間より崇高で人知を超えた存在と思われている。 人間には無い力であらゆる願いを叶えると信じられてきたのだ。 だがそれは半分は当たっているが半分は間違っている。 確かに人知を超えた存在ではあるが、決して万能では無い。 その理由は俺たちの力の源泉にあった。 神の力は人間が参拝時に放つ【願力】の大きさに左右される。 願いの数が多ければ多い程その力も増大し、人外の能力が発揮できるのである。 極端に言えば、人の願いが俺たちを形作っていると言ってもいい。 故にそれが無くなると俺たちの存在意義は消滅する。 存在意義の無くなった俺たちは、人の記憶からも完全に消え去ってしまうのだ。 未曾有の危機だと言ったのはこの為だ。 「た、大変ですぅ! 来ました!来ました!」 ドタバタと祭壇の床を踏み鳴らし、慌ただしく飛び込んできたのは木俣神(キマタノカミ)だ。 御井(みい)神社の祭神だが、どう見ても見た目は今風のギャルだ。 「なあに、騒々しい!もっと静かに入って来れないの」 機嫌の悪い天照(アマテラス)が振り向きざまに怒鳴る。 「そ、それどころじゃないんですぅ!来たんですよ……きた、きた!」 意に介す様子も無くひたすら「キタ」をまくしたてる。 「来たって……まさか参拝者か!」 察しのいい少彦名(スクナヒコナ)が声を上げる。 その言葉に皆一斉に木俣神を仰ぎ見た。 「そ、そうなんですぅ。今しがた向拝の前を通ったらじっと手を合わせている少女がいたんです。これは一刻も早く皆さんにお知らせしないといけないと……」 誰もその言葉を最後まで聞いていなかった。 少女がいた、の時点で全員が脱兎の如く駆け出していたからだ。 我先にと内陣に駆け込むと、拳ほどの格子戸の隙間から外を覗き見る。 確かに少女が一人立っていた。 小学一年生くらいであろうか。 左右の三つ編みに、ほんのり赤みがかった頬が初々しい。 閉じられた目蓋の前に合わされた手が震えている。 「……か、お助け下さい……します」 少女は無心に何かを祈願していた。 祭神たちは何とか聞き取ろうと格子戸に耳を擦り付けた。 「何でもいたします。なのでどうか……おばあちゃんを助けて下さい。どうかお願いします」 よく見ると少女の頬が涙で濡れている。 祭神たちは格子戸から顔を剥がすと顔を見合わせた。 「何か事情があるようじゃの」 口を開いたのは少彦名だ。 全員が頷く。 まだ幼い少女が涙ながらに祈るのだ。それ相応の訳があるに違いない。 「あの子の心を覗いてみるわ。今の願力で少しだけ力が戻ったから」 そう言って天照が両手を差し上げた。 程なく眼前に3D映像が浮かび上がる。 病床の老婆の手を握る少女の姿が見えた。 「おばあちゃん!死んじゃ……やだ!」 嗚咽しながら懸命に訴える姿が痛々しい。 「ごめんなさいね。でも神様の決めた事だから仕方ないのよ」 弱々しい笑顔を浮かべながら、老婆は少女の頬を優しく撫でた。 「……なら、私が神様にお願いしてくる!」 そう言って少女は病室を飛び出した。 引き止めようと伸ばした手が空を切る。 少女の消えた戸口を老婆は悲しそうに見つめ続けた。 映像が消える。 大体の事情を察した祭神らは顔を見合わせた。 「老婆の容態は?」 俺は天照に尋ねた。 「例の感染症の後遺症ね。重度の肺炎と腎不全を起こしてる。高齢で免疫力がかなり落ちてるから……あと半月と持たないでしょう」 天照は悔しそうに呟いた。 彼女は人の生命を左右する祭神だ。力を十分保有していた時なら病気平癒も可能なのだろうが今はそんな力は無い。 「あの子、きっと俺たちのせいだと思ってるよな……」 須佐之男が悲しそうに声を震わせた。 こいつ見かけによらず小心者なのだ。 「人の寿命は生を受けた時点から定まったものじゃ。わしらとてどうする事もできんて」 少彦名の言葉に皆消沈する。 「でも何とかならないんですかぁ。せっかくの参拝者なんですよ。あんなに小さいんですよ。可哀想じゃないですかぁ」 沈んだ空気を弾くように木俣神が捲し立てた。 「ねえ、何とかしてあげましょうよぉ」 「だから無理だと言っとるじゃろ!」 さすがの少彦名も癇に障ったのか声を荒げた。 「それに仮に何とか出来るとしても今のわしらには力が残っておらん。願力が得られん限りどうにもならんのじゃ」 少彦名の言葉に木俣神はぷぅっと頬を膨らませた。 「……いや。」 俺は顎に当てていた手を下ろしながら呟いた。 「何とかなるかもしれん」 その言葉にまた皆の視線が集まる。 当然どれも驚き顔だ。 「大国主(オオクニヌシ)よ、お前さん一体何をする気じゃ」 訝しげな表情で少彦名が聞く。 「オンライン参拝で来ないのなら、逆にそれを利用して来るように仕向けたらいい。」 俺は先程から練っていた考えを口にした。 「具体的にどうやって?」 興味を惹かれたのか天照が身を乗り出してきた。 「因幡(いなば)白兎(しろうさぎ)だ」 「白兎って……お前に助けられたというあれか?確かワニを騙して皮を剥がれたっていう」 須佐之男が嫌そうに顔を顰めた。 「まあ、そう言うな。本人は改心してるんだ」 「それでどうするの?」 痺れを切らした天照が続きを促す。 「そのウサギの手法を使うんだ。あいつは海を渡らんとワニに数比べを持ち掛けた。橋代わりにする為だ」 「ふむふむ」 「これはワニの競争心を利用したものだ。こいつを人間に適用する。つまり参拝動画に人間の競争心を煽る内容を追加するんだ。そうたとえば……」 俺はたった今思いついたイメージを語って聞かせた。 「来訪時に社務所で『オリジナル御朱印』が貰える特典。賽銭箱へ投銭するとそこでしか聴けない『特別な鈴の音』が聴けるサービス。うさぎ像を撫でれば『限定おみくじ』が引ける利点……これらを期間限定で行うと宣伝するとか」 「出雲大社専属のゆるキャラを置くっていうのはどうです?」 木俣神が目を輝かせ提案した。 すでに床面にはキャラクターのイメージ図も描かれている。 「いいね、それもいこう。とにかく人が興味を惹きそうなネタを動画に載せ、この期間しかチャンスは無いぞと脅すんだ。早く来た方が得だと思わせる。そして短期間で老婆を救えるだけの願力を確保する……どうだろう、こんな考えは」 俺はそこまで一気に説明すると全員を見渡した。 最初は呆気にとられていた表情が次第に緩み、口元には笑みが浮かんだ。 「……なるほど。目には目を、じゃな」 少彦名の言葉に皆が大きく頷く。 少女の願いを叶えたいという思いがどの目にも溢れていた。 俺も力強く頷き返した。 「じゃあ、さっそく役割分担だ。幸い少女の願力で多少は力が使えるのでそれをフル活用しよう。御朱印とおみくじについては木俣神が運営者の夢枕にでも立って準備させてくれ。縁結びのあんたが言えばすぐ動くだろう。鈴の音は今から設備を作る時間も無いので少彦名が裏で笛でも吹いてくれ。ゆるキャラも準備する暇が無いので、そうだな……おい須佐之男、お前何か可愛いものに変化(へんげ)しろ」 「お、お、俺がか!?」 俺の無理強いに須佐之男が目を白黒させた。 「む、無理だよ!い、いったい何に……」 「動画の編集は俺の方で何とかする。国づくりで培った腕を見せてやる」 須佐之男の泣き言を完全無視し、俺は鼻息荒く言い放った。 「最後はあんただ、天照。この中で人の生命力を操作できるのはあんただけだ。願力が集まり次第老婆の平癒を頼む」 その言葉に天照はくるりと身を翻した。 瞬時に衣装が白衣に入れ替わり胸には聴診器まで下がっていた。 「任せて」 にやりと浮かべる笑みが心強い。 「では、今からこれを『ラビット作戦』と呼ぶ事にする。全員作戦開始!」 俺の号令で全員が動いた。 後は時間との勝負だ。 編集配信された動画の効力は絶大だった。 『限定』や『オリジナル』の言葉に弱い若者、愛好家、マニアを中心に人が押し寄せた。 特に大社のシンボルである大注連縄(おおしめなわ)(かたど)ったゆるキャラは大人気だった。 『いずもん』と名付けられたそれは、縄から目が飛び出た【きもカワ】イメージで家族連れの絶大な支持を得た。 意外な才能に開花した須佐之男は、その後須佐神社バージョンの『すさもん』も作ると言ってきかなかった。 当初の予測を大幅に超え、配信から僅か一週間でオンライン参拝以前の参拝者数を取り戻した。 十分な願力を確保した天照はさっそく老婆の生命力アップを図り、何とか余命宣告を回避する事ができた。 天照大神、少彦名命、須佐之男命、木俣神、そして俺—大国主命は顔を見合わせて笑った。 少女の顔にも笑顔が戻った。 ………… 「はい、カット!」 監督の声が響き渡る。 キャスト全員から安堵の息が漏れた。 「今のシーンで最後となりまぁす。お疲れ様でしたぁ!」 ADが両手を振り上げる。 俺はメイク助手から渡されたタオルで額の汗を拭った。 感染終息後、地域復興を狙って製作された出雲市のPR映画の撮影も今日で終わりだ。 「短くて長い一か月だったわね」 同じように首筋にタオルをあてた天照役の女優が笑いながら言った。 「ああ、ほんとに……」 俺は相槌を打つと感慨深げにスタジオを見渡した。 実際の出雲大社の拝殿そっくりに作られたセットは装飾部の自信作だ。 その前をつい今しがたまで演技していた少女役の子役が走り回っていた。  受賞ものの演技は監督すら唸らせたものだ。 向こうでは須佐之男役の大男が照明係と何やら話し込んでいる。 学生時代はバスケットの選手だったらしい。 最年長の少彦名役俳優は隅で座って煙草を燻らせている。 俺たちの中では一番芸歴が長い気のいい爺さんだ。 木俣神のギャルは一般募集から選ばれた素人だ。 今風の物怖じしない演技はいいアクセントになった。 短い期間だったが皆苦楽を共にした仲間だ。 またいつか会えるだろうか。 俺の中に郷愁に似た思いが駆け巡った。 いや、はたして次などあるのだろうか。 今回は売れない役者の俺がたまたま掴んだ主役だった。 もとより自分に才能が無い事は分かっている。 そろそろ潮時かなとも思うが踏ん切りがつかずにいた。 いっその事これで人生を決めちまおう。 そう思って臨んだ撮影だった。 映画が当たれば役者を続ける。外せば諦める。 文字通り神頼みという訳だ。 俺は苦笑しながら小さく胸元で手を合わせた。 数週間後、公開された映画は反響を呼んだ。 神話の世界を今風の表現で面白可笑しく描いたのが功を奏したようだ。 大人から子供までが現地見たさに足を運んだ。 何より参拝する事の大切さを再認識されたのが嬉しかった。 出雲に人が戻った。 そして俺の願いも花開いたのだった。
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