人類最後の花

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

人類最後の花

 この世界にはどこまでも続く花畑が拡がっていた。遙か昔にはその数も減り、そもそもの自然さえも消えかけていたとは思えないほどだと大人は言ったが、少年の世界には初めからこの姿で在った。  山に、森に花が咲く。大きな木から垂れ下がる〝幹〟に、幾つもの花が。  池に、海に花が咲く。水面に漂う大輪の花が風で揺らぎ、海の底に咲く花も海面を射して届く光を受けて、上へ、上へと目指して延びる。  歩道に、道路に、橋の上に、下に。  転がる〝幹〟から、遙か昔に停まったままの車から溢れた花は既に〝幹〟が根を張り車の形に沿って拡がった。  家に、店に、学校に。  建物の窓枠に垂れる〝幹〟からは枝垂れるように小さな花がいくつも列んで、時を経たものは地面とも繋がった。  寄り集まった〝幹〟にはいっそう濃く花が集った。まるで大きな花の丘となり、色とりどりの花はどれも同じ色にはならなかった。どの花も、必ず違う。様々な色が揺れる丘は輝くように美しくなった。  そして今、最後の花が咲く。  まだ〝幹〟でもない少年は、人類にこの現象が始まった頃すらも知らない。ひた隠されていたその情報を、少年が理解出来たわけでもなかった。花はひっそりと咲き始めた。遠く遠方の国から、土地から、少年の知らぬ間に、少年の父親すらも知らぬ間に。  少年の目がもうまともに視野もなくなった頃には世界は静かで、少年の世界には初めから喧騒などもなく穏やかなものだった。  次第に欠けていく視野に映る父と母の姿もまた、少年には初めからその姿のままだった。父には赤味の花が咲いていた。母には青と紫を混ぜたような鎮かな花が咲いていた。  色は全て花で学んだ。あの人の色はオレンジ、あの人から咲いた色は水色。  ある頃から少年を抱いていた母の腕が枯れるように折れた時、遂に眩しさを感じて一人、歩き出した。父がよく言っていたこと。父が最後に言っていたこと。  今、人類最後の花が咲く。くたびれた少年が歩みを止め、その膝を折った時、遂に彼の目から生えた蕾から真っ白な花瓣が姿を現した。  ぱきり、と小さな音が鳴り、蕾は割れたように花を咲かせる。最初の勢いはすぐにおさまり、最後にはゆっくりと、ゆっくりと花びらを拡げた。  人類最後の花が咲いた。少年の両目からは真っ白な丸い花が開き、もう随分と前から、少年の体は動かない。  か細い幹から咲いた花は静かに揺れる。遠くで色とりどりの花が揺れ、それらがおさまった頃、揺れる。  人類最後の花が咲いて、かつての少年が知っていたものよりもずっと、世界は静かになった。 (了)
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!