瞳から消えたもの 

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 市大病院を退職し、2日後には、緑原総合病院への勤務が始まろうとしていた。  雇用に関する手続きがあるからと呼び出され、受付から続く長い廊下をコツンコツンと靴音を立て、歩みを進めた。  ここに来るのは、あの借金返済の相談に上がった時以来だ。  野々宮重則に合うのは気鬱だが、そんなことを言っていられる立場じゃない。  ひとつため息を吐いてから医院長室の扉をノックした。  低い声の返事を聞いて、扉を開け「長岡です。失礼いたします」と挨拶をして顔をあげると高級素材の深みのある革張りのソファーが目に入り、そこに野々宮果歩も座っていた。 「あの、本日は雇用契約の手続きと聞いて伺ったのですが」  俺の問いにオーク材の一枚板の大きな机の向こうにいる野々宮重則が悠然と頷いた。 「成明君、良く来てくれた。君に相談があるんだが、果歩と結婚して、うちの跡継ぎにならないかね」  病室での軽口とは違い、わざわざ呼び出しての内容、これはマズイことになった。 「いえ、私などでは、緑原総合病院を運営できる器ではありません。それに果歩さんには、もっと素敵な方がお似合いかと思います。私では、きっと果歩さんを退屈させてしまいます」 「あら、お父様が上げた候補の中では、私、あなたが一番いいと思ったの。病院のことは、お父様から教えて貰えば、出来るようになるわよ。ねっ。そうでしょ」  
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