瞳から消えたもの 

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 少し考えさせて下さいと言い残し、部屋を出て父のいる病室に向かった。  外来診察が終わり、明かりを落とした薄暗く長い廊下をコツンコツンとただ靴音だけが響いていた。  ここの廊下を歩くたびに気鬱な気分で、ため息を吐いている。  考えさせて下さいも何も、野々宮重則に借金があって、父親まで病院に入っている。断るなんて選択肢は残されていない。  おそらく、野々宮重則にとって扱い易く、年齢的にも娘にちょうど良い人間で白羽の矢が立ったのだろう。  まるで人身売買で買われたみたいで、自分という人間が無くなって行くように感じた。  父の病室をノックしてドアを開けた。  この個室も本来なら室料だけでも1日3万は掛かるような個室で、10畳以上ある部屋に小さなソファーセットにトイレもシャワーも洗面台も付いている。それを野々宮重則の計らいで一般料金で使わせてもらっていた。  目を瞑り規則正しい呼吸で眠る父のベッドの脇で付き添う母が、部屋に足を踏み入れた俺の事を縋るように見つめている。 「父さんの加減はどう?」 「今は、落ち着いて眠っているけど、さっきは痛がって、薬を入れてもらったの」 「そう……痛み止めの薬が入ると眠ってしまうけど、本人が痛くないのが一番だよ」  ベッドの上で眠る父は、見る度に痩せて細くなって行く。  残された時間で自分に出来る事など限られている。   「ねえ、父さんから聞いたんだけど、ここの医院のお嬢さんと縁談が持ち上がっているって本当なの?」 「ああ、婿養子にどうかって……俺もひとりっ子なのに跡継ぎが居なくなってしまうな」 「ウチじゃ、跡を継いだって借金しか残らないって、成明に何も残せないって、父さん気にしていたから大病院の跡継ぎに望まれるのは、良かったと思うけど、成明はそれでいいの?」 「父さんが喜んでいるなら、いいよ」 「成明……」  どの道、断れない縁談なのだから、その中で自分の出来る事を探していくしかないんだ。    
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