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その日の午前中は絵の展覧会へ行った。ノリスケさんが夜学で通っている美大の展覧会だ。ノリスケさんの絵があった。広々とした牧場の絵だ。
「ノリスケさんがこんな絵を描くなんて!」
「いい絵だね」
「性格が表れてる。でも、なんで牧場?」
「実家が牧場経営されてるらしいよ」
「アルフォンスに牧場なんてある?」
「実家はツンドラ国にあるんだって。画家になりたくてアルフォンスに出て来たらしい。反対を押し切ってね」
「才能あるわね。この絵をみるところによると」
「アルフォンスは芸術の本場だからね。入学時に折悪しくお父さんが亡くなって、揉めたらしい」
「それで、ノリスケさんは苦学してるのね」
「牧場の方はお母さんと妹さんが何とかされてるみたいだよ」
ノリスケさんは明るく振舞っているけど、意外と片意地張って生きてるんだ。悩みなんてなさそうと勝手に思ってたけど、悪かったかも。
美大を出たのは11時だった。フェリスは野暮用があるとかで、そこで別れた。あたしは美大の周辺を散策することにした。
美大の南側に大きな鬱蒼とした森がある。モーフの人が『南の森』と呼ぶ森だ。レニー国との境になっていて、この森を抜けるとレニー国の首都ルネに出る。ルネの人はこの森を『黒い森』とか『魔の森』と呼んでいる。あたしはルネで暮らしたこともある。モーフとルネを行き来するのには、森を抜けるのが最短距離だけど、みんなこの森を迂回する。人々が何を恐れているのか知らないけど、この森は不吉がられている。あたしもこの森に入ったことはない。回れ右して、街中に帰ろうとした。
「!」
一瞬、白いローブが森に入っていくのが見えたような気がした。誘われるように森に近づいた。森の際には『立ち入り禁止』の立て札があった。白いローブは気のせいだろうか。森に入るのはためらった。危険な魔物がうろうろしていると聞く。理性はやめておこうといっていたが、足は森の中に向いていた。
別にあたしは失うものなんてないんだ。ちょっと行ってみて、危険そうだったら、すぐ戻ってくればいい。
ギャギャギャギャ!
梢の上で鳥が騒ぐ。あたしはひたすら真っ直ぐ歩いて行った。よく見ると獣道がある。
あたし、何でこんなことしてるのかな?
でも、予感めいたものがあった。
突然、ぽかっと開けたところに出た。円い広場のようになった場所だ。低い草に覆われた地面に、スポットライトのような日が射しこんでいる。広場の向こうには丸太小屋があった。小屋に近づいても人の気配はない。分厚い木のドアに手をかけてみると、音も無く少し開いた。
「誰かいませんか?」
声をかけて覗き込んだ。けど、返事はない。炭焼き小屋かと思ったけど、小屋の中の様子は予想と違っていた。本がずらっと並んでいて、木のデスクと椅子がある。
「また、本か」
フェリスと出会ってから、本のある場所に縁がある。しかし、だからか、安心感を感じた。小屋の中に入ってみた。
「何? これ」
男の人の背丈以上の高さが優にある巨大な水晶の柱があった。
「ここは、魔導士の小屋なのかしら」
本も背表紙を見てみると、外国語の本ばかりだけど、魔道関係の本のようだ。
「こっちは何かしら?」
本棚の一番下の段は、びっしりノートが並んでいる。かなりの数だ。ノートを一冊取り出してページをめくった。……見覚えがある。
「フェリスの字だ」
この小屋の主は、フェリス? ノートを元の位置に戻して小屋を出た。人の気配は無い。帰ろう。
そのとき、目の端に白いものが見えた。振り向いた。
「!」
白いヒョウがゆっくり歩いて来る。
ど、どうしよう。声もでない。
「フェリス……」
無意識にフェリスに助けを求めていた。
「フェリスはここにはいない」
白ヒョウがしゃべった。
「え?」
「この辺りには魔物がたくさんいる。知らなかったのか? 魔界から来てときを経たものばかりだから、魔界の毒気は抜けている。だが、野生だから十分危険だ。軽はずみに来られては困る」
「す、すいません」
食べられる心配はなさそうだ。そこで気づいた。ヒョウの瞳が真紅だった。
「あ」
白ヒョウが銀色の炎になって、今度は人の姿になった。鏡から現れた大人のフェリスだった。
「なぜ、私の後をつける?」
「え、えーと」
なぜかしら? 自分でもよくわからない。
「あの小屋は貴方の小屋なの?」
「フェリスと共有している」
「貴方とフェリスはどういった関係なの?」
大人のフェリスは方向を変えると、答えずに歩いて行った。あたしはついていった。
ザー。
滝の音がする。
目の前に滝壺が広がった。
「綺麗なところ……」
赤目のフェリスを見ると優しく微笑み返してきた。どきっとした。
(これは後にフェリスが「あれは赤ちゃんの虫笑いと同じ。意味はないんだよ」といっていた)
赤目のフェリスは、フェリスと同じ顔をしているけど、フェリスよりずっと大人っぽい。背もフェリスより高くて、長身でかっこいい。ミステリアスな感じがするし、綺麗で、淡く発光しているようにすら感じる。フェリスも美形だけど、赤目さんはちょっと人間離れした綺麗さだ。
赤目さんが黙って滝を指差した。
「あ」
フェリスが滝壺の中にいて、滝の中に向かって剣を振るっている。
(これは後にフェリスが「負荷をかけているんだよ」といっていた)
「フェリス!」
気づいたら声をかけていた。フェリスが振り向いた。
「シャー! なんでディアちゃんを連れてくるんだよ!」
「しゃー?」
赤目さん(しゃーさん?)はフェリスに答えずにあたしに話しかけてきた。
「フェリスは午後から、この森で剣の鍛錬をしている。もしくは西の砂漠でアーシア・スペルの実験をしている」
「剣の鍛錬?」
「シャーってば! すぐ、人を無視する!」
水の中からフェリスがあがってきた。水がフェリスの腕や脚の周りで輪になってくるくる回っている。何? これ。
「なぜ、剣の鍛錬をしているのか説明してやれ」
「……。ディアちゃん、父さんとの約束だからだよ」
「とうさん? シャーさんが」
「違う。ディアちゃん、こいつに関わるとロクなことがないよ。信用しない方がいい」
「シャーさんはフェリスの何なの?」
「腐れ縁!」
「兄弟とか?」
「血縁じゃないから!」
珍しくぷりぷりしている。こんなフェリスは初めて見た。
「シャーはアストラル体の不死人だから、何にでも変身できるんだよ。でも、何を考えているのか、わからないところがあるから全面的には信用しないで。人を振り回す心癖があるんだ。不死人は大気の精霊の流れに常にさらされているから、精霊性を帯びるからね」
「?」
「注意して」
フェリスの周りを回っていた水は遠心力で散っていった。フェリスは上半身裸で、裸足だった。結構、筋肉質で締まったいい躰をしている。そばの木にかけていたタオルで躰を拭いて、シャツを着て、ベルトを締めて、ブーツも履いた。
「ディアちゃん。お昼行こう。まだ、だよね」
剣を小屋に投げ入れて、すたすた歩いて行く。シャーさんはいつの間にか消えていた。
「ディアちゃん!」
フェリスが呼んでいる。あたしは慌ててついていった。
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