✽ 特別編 読書について考えると、古傷が痛む ✽

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✽ 特別編 読書について考えると、古傷が痛む ✽

昨日から左胸の痛みに悩んでいます、未苑です。 また、仙台を中心とした地震がありました。皆様、ご無事でいらっしゃいましように。 健康でないと創作できませんから、エブリスタの皆様もどうか、お身体お大事になさって下さい。 873f2b25-2e07-4ba8-9d80-b7e19fec529a2000年7月8日作、と記されています。 色々ともがいた結果、真っ黒だった現れかと……。OH! 過去の痛手です。   ✽ やや体調が悪いので、先にペコメお返事を打ちました(次項へ→) 珍しく、本の紹介ではなく「読書について」。 つれづれなるままに、エブリスタにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくせむと欲す(吉田兼好から無断引用)。この場を借りて記させて頂きます。前もって、お許しを。   ✽ 〈執筆と読書〉 よく執筆指南書、今だとnoteやブログ等でさまざまなアドバイスが挙げられます。その中に、 A「あまりプロの小説をたくさん読みすぎないこと →影響を受けやすいため。全部が基本型ではないため」 B「古本屋の主人全員が、作家になるわけではない →インプット、アウトプットは別」 B’「ただし、ある程度小説を読まなければ、その文は小説にならない →大方が描写ではなく、説明文になっている(Twitterの対局)」 一方で、 C「そもそも本の虫ですけど何か?(京極夏彦先生)天井まで至る全壁面が本棚w」「生きるように本、活字を読む。無かったらチラシの文字でもいい。活字がないと、俺は死ぬ(三浦しをん先生)」 という方もいますね。 ざっくりした表記ですが上記「A」「B」に分かれる気がします。 凡人として、憧れは超人的「C」ですけれど。 ※なお、この20年前後の現代作家メインで恐縮です(いずれ戦後派や文豪も触れたいのですが、まだ全然初心者です) 読書の楽しみを知ったからこそ、自分も描きたい欲求が湧く。書くからには研鑽したい。 一作家を知れば、そのルーツを辿り時代を超えて、別作品の楽しみを知る(映画や音楽なども同様)創作は模倣なので、ルーツ巡りは楽しい。 そして、文章にしか出来ない表現があることも、様々な文芸(俳句、短歌、詩含む)から知りました。 絵が書けるなら漫画家でもいい、映像が撮れるなら映画でもいい、というのは、な方だと私は思っています。視覚表現と言語表現が受ける〈印象差〉が違います。脳の分野別役割から明らかですが……。 現実を圧縮還元し、著者のアレンジで希釈する小説は、とりわけ文章表現ならでは。 例えば、「青空の映像/絵を一秒見せる」のと、「どんな青空か描写する一文」は個々によって全く変わります。 私は、この描写から 「この作家には、世界がこう見えているんだな」 と知りたくて、読書しているのかも知れません。 しかし循環として、「読書する→書きたくなる→己の技術不足が気にかかる→読書する→また書く→またしても技術不足に落ち込む」ループに陥ります。 欲望は底なし沼のように強欲です。 はるか昔、『朝●カル●ャーセンター』受講中、上記の「B」を言われた翌週、「A」を言われて混乱した思い出が蘇ります。 ああ、コンヒューズ。 『Dazed and Confused』(ツェッペリンver)を聴きたくなりました(関係ない) あ、 D「同じ作品を何度も読む。研究する」 もありました。 皆様は、どう考えられますか?  ✽ 本音吐露したら長すぎました(猛省) あまり自分のことを書くのは苦手です。わかりにくい文章ですみません。 仕事柄、受験生の〈志望理由書&自己PR書〉の添削で、他人様の添削はするくせに!💦
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