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結局、私達は何を待っているのか?*『ゴドーを待ちながら』
余った節分の豆を無理やり料理に入れています、未苑です。
皆様に良い春が訪れますように♪
何だかイラストは春が来なそう💦 再利用イラスト、タイトル『待つ女』です(苦笑)
ちなみに私は仕事自体が「待つ」内容だった反動で、プライベートは勝手にふらふら行くほうです(それもどうなんだ)
*待ち人来ず、と言えばこの作品!(イラストは関係ありません💦)*
『ゴドーを待ちながら』 サミュエル・ベケット著 安堂信也、高橋康也訳 白水Uブックス
前回と前々回の投稿〈エブリスタ読書会④〉にて『必読書150』を取り上げました。私の既読は31冊💦 おサルさん🐒にしては頑張っているほう!(←自己フォロー・笑)
今回はその31冊のうちから選んでみました♪
タイトルが(も?)やたら有名な戯曲、こっそり読書会前に再読しておきました。
何せ初読が学生時代……あ、たった5年前か、てへ♡ ……とか言えたら良かったんですけどね……(記憶とともに遠い目)
浮浪者らしき男2人、エストラゴンとヴラジーミルは〈ゴドー〉が来るのを木の下で待ちわびるも、一向にやって来ません。
足の痛みに苦しむも、木で首吊りしようにも「ゴドーが来るから」と決行出来ないまま、無益に時間が過ぎていきます。
すると2人の前に、「豚」扱いされる奴隷・ラッキーと飼い主のポッツォが現れ、「あなたがゴドーですか?」と問うも判然としない。それどころか、4人の会話はちぐはぐなまま夜が更けていき……。
詳細が明かされないまま、2幕1場で終わる会話劇……しかも噛み合わない。こんなの若造だった私が分かるわけもなかったです💦
今回再読したのは白水社の新訳版でしたが、巻末の訳注がとても親切で助かりました! 翻訳の版本は、発表時のフランス語版ベースですが、アメリカ上演用の英語版からの訳がも付いているため、「ここはジョークですよ」など解説があり、素直に本文を受け取れました(笑) 日本出版界の翻訳は素晴らしいです、ありがたい。
それこそ本作は戯曲であって音声で成り立っている前提で読むと、意義でなく音韻がメインの台詞で遊んでいると分かったり、楽屋落ちなメタフィクション台詞、客席に向かって「この屍達はなんだ」と言えたり(笑)
ネタバレでもないと思うので書きますと、〈GODOT〉は〈GOD〉。
〈OT〉がフランス語で愛称に使う末尾だそう、例:Charlotte。
2人は永遠にやって来ない神様を待ち続けているわけで、遠藤周作をもじるわけじゃないですが、ゴドーは沈黙し続けています。
確かに人生は苦難がつきもの。
履いている靴(生まれ持ったもの)が痛いのになかなか脱げないエストラゴンの癇癪も、作中でイエスの磔刑を真似て、両腕をTの字に広げる〈木のポーズ〉だの、ゴドーの言伝をしにくる少年の名前が「アベル」だの「カイン」だの、いたるところにキリスト教への問いが散りばめられていました。
そう考えてみるも、白痴らしき〈豚〉ラッキーが唯一語ることが出来るシーンはちょっと皮肉です。
人生は苦難。そして、答えなどない。
それを救済する人が来ないと感付きながら、死ぬまで待ち続ける。人間のかなしさでしょうかね……。
そして、この作品は舞台であって、観客に見られながら(=他者が存在しながら)エストラゴンとヴラジミールが台詞を話していることから、生きること=演じること、だとも取れます。ちょっと心理学っぽいですね💦
ところでこの戯曲、日本だと2014と17年に東京乾電池で柄本明さんのご子息・佑&時生兄弟が演じていたそう! めちゃくちゃ観たい……♡(ミーハーですみません・笑)
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