誰が為、君が為

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「……勝てる戦であろうと、全てが終わってから風流に浸れば良い。妲己、おぬしはそう考えているのであろうな」  すると。妲己の考えを読んだかのように、紂王はくつくつと笑って見せたのだった。 「それも間違いではなかろう。が、忙しい時こそ、心休める時間を持つことは重要と考える。……もっとも、近年の儂は少々遊び過ぎだと嗤われることも少なくないと知っているがな」 「どなたがそのような無礼を?帝の悪口を言うような輩は、全て蠆盆にでも落としてしまえばよろしいのでは?」 「まあ、そう言ってくれるな。事実は事実。そのような小さきことにまで目くじらを立てていては、帝としてみっともなかろう」 「…………」  変わったな、と妲己は眼を細める。出逢ってしばらくした頃の紂王は、まさに妲己の言うことならば何でも聴いたし、妲己の言葉を否定するということもしなかった。あの男が煩わしい、あの者が嫌い、あの者はわたくしに色目を使った――妲己が告げ口すれば、その端から躊躇いもなく家臣も民も処刑して回っていたというのに。  最近のくだらない革命ゴッコに疲れてしまったのだろうか、と思う。  否。  小さな事で怒りを感じる気力もないほど、彼も老いたということなのだろうか。 「儂はな。月を見ながら、おぬしと出逢った日のことを思い出しておったのだ。有蘇氏に献上されたおぬしを初めて見た日のこと。……よもや、この世にこれほどまでに美しい娘がいようとは想いもよらなかったことだ。帝として、国中の美女を眼にしてきたはずの、この儂が……たった一人の女性に、完全に骨抜きにされてしまったのだ。おぬしの美は、それほどまでに他の者達とかけ離れたものであった……まるでそう、真っ暗な闇の中にぽっかりと浮かぶ、あの麗しい月を見るかのように」  儂はな、と紂王は続ける。 「儂は。おぬしを……さながら湖面に映る、あの月のように思っておったのだ」 「と、言うと?」 「水面に映る月は、すぐ目の前に存在するように見えるであろう?手を伸ばせば、すぐに届きそうな距離ではないか。しかし……掬い上げようといくら触れたところで、あくまで偽物の月。触れた端から形はかように崩れて、けして抱きしめることなど叶わないではないか。必然と言えば必然。何故ならば本物の月は、遥か遠い遠い彼方で輝くもの。帝とはいえ、肉の器を捨てられぬ一介の人間の手に触れられる道理はない……。まるでおぬしそのものよ」
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