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洞窟の街
目の前にそびえ立つのは、巨大な崖でした。上の方はほとんど見えず、それがずっと西の方まで続いています。南側は海に迫り出し、時折波を弾いていました。
「これはまた、凄いな」
「そうですね。迫力満点です」
「……本当にこの道を行くのか?」
フレッド君が、苦い顔でそう聞きます。恐らくはわたしの歩きを心配してくれているのでしょう、洞窟へ続くこの道ではなく、北側をぐるっと大きく周る迂回路を示しました。
「勿論です。中には街もあるそうですし、それほど道は険しくないと思いますよ。それに……」
「それに?」
「エステリーチェ南部領と西部領にまたがる洞窟と言えば、宝石です! ここでしか採掘されない宝石も、たくさんあるのですよ」
ふふ、と自慢気に笑うと、フレッド君は溜め息をついて一瞬、わたしの顔の横に視線を向けました。その視線の先にある耳飾りに触れて、わたしは少し頬を膨らませます。
「もう、装飾品にしたいわけではありませんよ?」
「……わかってるよ」
同じように頬を膨らませたフレッド君が、少し可愛いです。……こんなことを言ったら怒られてしまいそうですけれども。
最近気づいたのですが、フレッド君が寂しそうに笑うのは拗ねているとき、ということがあるみたいなのです。彼については、旅に出てからここ半年程で知ったことがたくさんあります。二ースケルトの街ではたくさんの人と関わりましたから、また新たな一面を知ることができました。……彼とはそれなりに長い付き合いなのですが、まだまだ知らないことがたくさんありそうですね。
それに、フレッド君がそんな風に拗ねてくれることに、何だかくすぐったい気分にもなります。
「身に着ける宝石は、フレッド君がくれた物だけで十分過ぎるくらいですよ」
洞窟の入り口で、常光石という、灯りになる石に魔力を流して光らせ、リュックのベルトに取り付けます。
中に入ってしばらく歩くと、“気”の違和感に気がつきました。それを理解する前に、ゆら――と揺れたわたしの身体を、フレッド君が支えてくれます。
「っと」
「ありがとうございます、フレッド君」
「どうした?」
支えられたまま辺りを確認すると、自分が何に違和感を覚えたのかがすぐにわかりました。
「……ここの“気”、濃すぎますね。軽い魔法なら弾いてしまうくらいに。……それに不自然な程、闇属性の純度が高いのです」
自然にある“気”の属性というのは、四元素である火、風、水、土が最も多く、その派生である草、雷、氷、金が後に続きます。基本的にはその環境に合った属性が多くなるのです。ここのような洞窟であれば、土属性や金属性が多くなります。
一方、上位元素である光と闇は、それぞれ神様と悪魔に由来する属性と言われていて、“気”として自然に存在する量はそう多くありません。どちらかというと、魔力の属性としての意味合いが強いものなのです。
「言われてみれば、そうだな。動きにくいのか?」
「自分と相性の悪い属性だと、酔うこともあるみたいですけれど。わたしの場合は単純に、想定していなかったから驚いてしまったというだけですよ」
闇属性にかかわらず、一つの属性に偏っている空間など、神殿にある星空の部屋しか知りません。そこでさえ人工的に満たされた空間なのですから、自然にそんな場所があるなど、考えもしていませんでした。
「それに、歩くのに“気”と魔力を頼りすぎていました。久し振りの岩場でしたし……」
転ばないように、常に“気”の流れを意識しながら自分の身体のバランスを取っていたことが仇となりました。もう少し、“気”そのものにも意識を向けるべきでしたね。
フレッド君は軽く息を吐き、わたしの背中に当てていた手をずらしました。そのままわたしの右手を握ります。
「行くぞ」
またしばらく歩くと、少しずつ魔物との遭遇率が上がっていきました。純度の高い闇属性持ちばかりですが、それほど強くはなかったので2人で順調に倒していきます。
光と闇は互いに互いの弱点となるので、自分が纏う魔力を闇属性に偏らせつつ、光魔法で攻撃していきます。フレッド君はいつも通り、相手を翻弄させる動きで隙を作っては、斬り掛かっていました。
ある地点で倒した魔物の瞳を採集していると、その奥にキラリと光るものを見つけました。そこへ近づく前に、フレッド君に声を掛けます。
「フレッド君」
指差した方に目を向けたフレッド君が、「宝石か?」と聞いてきます。わたしは頷いて杖を出しました。
「はい。あれを採るために大きな音を出しますが、驚かないでくださいね?」
「いや待て。お前、そうやって宝石を見つける度に採っていくつもりか? ただでさえ上手く歩けてないのに、これ以上荷物を増やしてどうするんだよ。街で買えば良いだろう?」
「ち、違いますよ! この宝石はとっても珍しいのです。採るのも難しいですし、街で買えるとは限りません」
「はぁ、お前は知識があり過ぎて、その分珍しい物もたくさん知り過ぎなんだよ……。まぁわかった、街に着くまでに一つだけだ」
そんな厳しいことを言うフレッド君をむぅ、と睨みますが、彼は首を横に振るばかりです。こうなったフレッド君にわたしができることはありませんから、仕方なく諦めます。
それにしても、一つですか……。
この洞窟にありそうな珍しい宝石はもう一つ思い浮かんでいたのですが、どちらにしましょう? そう思って少しだけ悩み、今見つけた宝石を採ることにしました。また見つけられるかもわかりませんし、丁度これを使って作りたい物があったのです。
ボフン、と爆発音が響いた後、コン、と宝石が転がる音。「豪快だな」と呆れたように呟くフレッド君に笑いかけ、それを拾いました。先程まで光っていたそれは黒く変色し、ただの石のように見えます。
わたしはそれを、丁寧に布で包んでリュックに入れました。
「お待たせしました」
わたし達はまた、手を繋いで歩き始めました。
「駄目だ。忌み子は入れられない」
「他のお客もいるからねぇ……」
「そっちの少年だけでも泊まるかい?」
……困りました。
洞窟内の街に着いたのは良いですが、どのお店も忌み子お断りのようなのです。店先の商品を見たり、屋台でご飯を買ったりする分には何も言われませんが、絶対に中へは入れてくれません。
自分のことのように怒るフレッド君に、「仕方がありませんよ」と声を掛けます。街にある宿屋全てを周りましたが、最後のここも駄目でした。
「フレッド君だけでも、泊まったらどうですか?」
そう訊ねると、怖い顔で睨んでくるフレッド君。ご、ごめんなさい……。
「忌み子にこんなあからさまな忌避を示すなんて、時代遅れだとはわかっているんだけどねぇ」
わたし達のやり取りを見ていた、宿屋の女将さんがそう言いました。
「あんた達も納得できないだろうし、説明くらいはしてやろうか。ほら、この街が冷たい人間ばかりだと思われるのは本望じゃないから」
女将さんは外に出てきて、宿屋の横にあったベンチをわたし達に勧め、自分はどっかと床に腰を下ろしました。
「どこから話したもんかねぇ。……そうだ、この街に来て、何か感じたことはないかい?」
「感じたこと? 暗いな、というくらいしか……だが、洞窟内だから当たり前だろう」
フレッド君のその言葉に思い当たることがあって「あっ」と声を上げました。二人の視線がこちらに向きます。わたしは一度、ぐるんと辺りを見回しました。
「街の明かりには、光魔法を使っていますよね。見た限りだと、魔法陣から想定できる明るさと、実際の明るさが違うように思います」
そう言うと、女将さんはぱっと顔を輝かせました。
「あんた凄いねぇ! 忌み子じゃなけりゃ、家で働いて貰いたいくらいだよ」
女将さんが口にする「忌み子」という言葉には、侮蔑の感情が含まれていないように感じました。一般的にそう呼ばれているから呼んでいるだけ、という風な。フレッド君も、いつもより穏やかな顔で聞いています。
そんな女将さんでも中に入れてはくれない、わたしはその理由が気になりました。
「その調子なら闇の“気”が強すぎることにも気づいているんだろう? この街ではね、光魔法が使いにくいんだよ」
「そういうことだったのですね……。どうして、と聞いても?」
「勿論話すつもりさね。あんたらも知っておいた方が良い」
女将さんはそこで、一瞬口を閉じました。
「この洞窟にはねぇ、悪魔がいるんだよ」
「……」
「……悪魔、ですか?」
それは神様と同じで、伝説に出てくるような存在です。闇の“気”は悪魔の力とは言いますが、実際にその存在を見ることができると信じている人が、今の時代にどれほどいるでしょうか?
しかし、フレッド君が大きな溜め息をついても、女将さんは大真面目な顔です。
「あたしも見たことまでは流石にないけどね、採掘中に遭遇して殺されちまった人間はたくさんいるし、無事に街へ帰ってきた者だって大怪我してるんだ。それに闇の“気”を溜めていくものだから、どんどん強くなっていってるらしい。もう街の人間では太刀打ちできないのさ」
「悪魔かどうかはともかく、そういう危険な存在がいるということはわかった。……で、それがリルに何の関係があるんだ?」
そこでちらっとわたしを見る女将さん。次は何が来るのかと、少し身構えます。
「悪魔は――実際に街まで出てくるのはその手下なんだけど。あれは濃い魔力を好むんだよ。特に光属性のを、ね。……忌み子はほとんどが神殿育ちになるだろう?」
「そうですね。そして、魔力に光属性を多く含むようになります」
「そう言うあんたは違うようだけどねぇ……」
その言葉には、笑顔だけ返します。……神殿にいたことはあっても、神殿育ちではない。わざわざそんなことを言って、彼女を不安にさせる必要はありませんから。
「ま、探るのは良くないね。とにかく、光属性の魔力を求めて出てきた悪魔の手下達に、この街は何度も襲撃を受けてきたんだよ。……あたしらだって命が惜しい。原因がわかってからは、ずっとこうしてるのさ」
「……」
「……なるほど。お話、ありがとうございます」
「あんた達も気をつけるんだよ。北へ向かって西部領へ抜けるんだろう? まさにその辺りに悪魔はいるんだ。なるべく魔力を使わないように、それから深いところへは入らないことだね」
……最後に恐ろしいことを聞きました。フレッド君と顔を見合わせてから、もう一度女将さんにお礼を言います。
それから女将さんは、周りに建物が無い、街はずれの空き家なら寝泊まりしても誰も文句は言わない、夕食と朝食は作ってやるから取りに来な、と言ってくれました。助かります。
空き家に寝床を整え、夜ご飯を食べた後。明日に備えて回復薬の在庫を増やそうと、調合セットを取り出しました。それを見たフレッド君が呆れた様子で溜め息をつきます。
「なるべく魔力を使わないように、って話を聞いていなかったのか? 止めておけ」
「聞いていましたが、遭遇してしまったら戦うしかありませんよね」
「駄目だ、危険すぎる。お前は、回復薬があればあるだけ飲むだろう? 今回は危険度を測れないんだ。回復薬に手を出すようなことになる前に逃げるぞ。いいな?」
逃げるという選択肢を出すのは珍しいことです。ですが、わたしはそれに頷きました。殺されてしまった街の人々だって、決して弱いわけではなかったはずなのですから。
出した調合セットを片付け、寝具に包まります。やることがないなら、今日は早く寝たほうがいいでしょう。
「あっ」
「何だ?」
「街で、宝石を買ったり、魔法具を売ったりできませんでした」
「……それこそ諦めてくれ」
はぁい、と呟いて目を閉じました。瞼の裏に、悪魔について話してくれた女将さんの顔が浮かびます。できることなら遭遇したくありません。それでも、もし遭遇してしまったら……。
フレッド君だけは、絶対に守ります。
わたしはそんなことを考えながら、眠りにつきました。
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