彼女の最後の配信

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彼女の最後の配信

今日、彼女が卒業(いんたい)する 「それでは、ね‥‥‥今日の配信は、これで‥‥‥終わりにしたいとぉ思います」 彼女はいつもの通りに淡々と、それでいてどこか晴れやかそうな声で配信の終わりを告げる。見たこともない速さで流れるチャット欄の文字たち。別れを惜しむ者、精いっぱいの強がりと共に彼女の新たな旅路を祝う者、いつもの配信と変わらず定型句を紡ぐ者。その全てが、彼女という存在の大きさを感じさせられ、自分と同じように彼女に魅せられた者が多くいたのだという事実を実感する。それと同時に、どうしてもっと早く彼女に出会えなかったのかという気持ちが込み上げてくる。 「‥‥‥またね」 三つの音が連なって、それと同時に配信画面の「ライブ」の文字が消える。画面の中で左右に動いていた彼女の顔は停止し、その上にくるりと円を描いた矢印が無粋にかぶさった。 それを見て、私は小さく息を吐いた。配信は終わったというのに、チャット欄は相変わらず、いや先ほど以上の速さでいくつもの言葉が現れては消えていく。それは、どこか水底から浮かび上がっては弾けていく水泡を思わせる。 『お疲れ様』 『いかないで』 『ありがとう』 『つらい』 短くて、直情的で、飾り気のない、それゆえに素直な言葉たちは、喉の奥に詰まった私の心に形を与えていく。私はそれをまた身体の奥底に流し込もうと、天井を仰ぐ。 彼女の声が消えた後の私の部屋には夜の静けさだけが残った。窓を隔てて遠くから聞こえる車の音だけが、時間が動いていることを教えてくれる。 ピロン、とスマートフォンが無粋な機械音を立てた。手を伸ばし、ロック画面に浮かんだ文字列に目を落とす。彼女のツイートの通知だった。 『おつろーら』 彼女のお決まりの挨拶だけがつづられた本文。そしてその横には、無機質な白と黒のおそらく文書の画像が添付されている。指を液晶の上で走らせ、ロックを解除し、彼女のツイートに添付された画像をタップする。 『この度、私 茨之宮ローラは‥‥‥』 普段の彼女とは似ても似つかないかしこまった文章。そこには、これまでの応援への謝辞、得難い経験ができたことへの喜びなどがつづられていた。 みるみる伸びていく「いいね」とリツイート数。私は少しためらいながらも、画面を二度タップした。 コメント欄には、彼女の同僚たちの祝辞や別れのあいさつの言葉が次々に加えられていく。私は、それを何となく、でも何かに突き動かされるようにして黙々と読んでいた。 夜が更けていく。 配信が終わってからもう二時間は経つだろうか。私は静かに作業中のノートパソコンを閉じた。明日も朝から授業があるのだ、そろそろ寝なくては。 部屋の灯を落とし、布団に潜り込む。枕もとのスマートフォンに手を伸ばしかけたが、思いとどまる。もし見始めてしまったら、きっとすぐに夜が明けてしまうと思ったから。そして、私にはそこまでして彼女の影を追う思い出(しかく)なんて無いと知っていたから。 私は目を閉じた。真っ黒な瞼の裏に、彼女の最後の笑顔がちらついていた。
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