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最終話
「あれ、ラビ? 生きてたんだ」
「また随分と長い休暇だったな」
「お前死んだんじゃないかって、噂になってたぞ」
ひどく癖のあるタタールシェと共に、背後で埃立った空気が舞う。
「あはっ、心配してくれたの?」
部屋の中心へと視線を定めたまま、ラビが陽気にそう返すと、ルイは困ったように眉を下げた。
「ゲーニャが言ってんのはそうじゃなくて、お前がヤナに埋められたんじゃないかって話」
「あいつ、お前に刺されて十二針縫ったって言ってたぞ」
「あの人はいつも大袈裟だから」
「ははっ、酷い弟だ」
どこか皮肉を含んだ笑い声が部屋の中で強かに反響する。
「わざわざ日本の警察まで巻き込んで、ほんとよくやるよ」
「爺に臓器抜かれねぇように気をつけろよ」
軽く警告を入れつつも、憂患する素振りは一切見せない。むしろ面倒事は大歓迎だと言わんばかりに、二人は声を上擦らせて笑った。
「それで、休暇はどうだった?」
「まあまあだったかな……ああ、そういえば猫を飼ったよ」
「猫? お前が?」
「なかなか懐いてくれなくてさ」
「愛情表現が激しすぎるんだよ、お前は」
そのあまりにも「不適格な返答」に、ルイは堪え切れずに「ブフッ」と吹き出す。同時に、部屋の奥の方ではガタガタッと床が掠れる音が立った。
「…………」
「…………」
一瞬の沈黙に、寝台の上の男は静かに身を強張らせる。
結束バンドが食い込み過ぎているのか。指先を丸め込み、ただひたすらに息を潜めていた。
「それで、その子猫ちゃんは今どこにいるんだ?」
「閉じ込めてはきたんけど。早速、逃げ出したみたい」
「野良だったのか?」
「どうだろうね。世話をしてくれる人はいたらしいけど……」
ラビはドロップポインのナイフを手元で弄りながら、じっとりと声を低める。
「……自分以外の男に懐かれるのは嫌だからね、早めに連れ戻しにいくつもりだよ」
手首までを覆う革の手袋を馴染ませ、ゆらりと席を立った。部屋の中心へ進む度に強くなる、湿った鉄の臭い。分厚いブーツのソールで床を踏み締め、心許ない電球の下で立ち止まる。
「……ねえ、君はもし動物と意思疎通ができたら、彼らとセックスしたい?」
和やかな声で問い掛けるも、男は「ひぃっ」と悲鳴を上げるばかり。
「じゃあさ、言葉を話す彼らを食べることはできる?」
拘束された男の手は汗に塗れ、愍然なまでに打ち震えていた。光を失った瞳からは涙が溢れ出し、疲弊した筋肉は徐々に弛緩していく。
「大丈夫、時間はたっぷりあるからさ。ゆっくり答えてくれればいいよ」
にっこりと、ラビは綻ぶような笑顔を浮かべて優しく語りかける。すると男はその恐怖から失禁し、歯を悴ませながら咽び泣いた。
「……お前、相変わらず変態くせえな」
ゲーニャが悪態をつき、ライトのスイッチを切り替える。途端に照度の高い光が当てられ、瞳孔が細く絞られた。
「酷いなあ、こういう僕がいいって言ってくれる人もいるんだよ」
「うわあ……」
「勘違い野郎に好かれて災難だね、その子も」
ルイからの容赦ない追い打ちに失礼な奴だと眉を顰めたが、間もなくして他の二人も哄笑しはじめる。
「はあ……もういいから出てってよ」
「あー、そろそろ時間か?」
「そうだって言ってるだろ」
「施術の予定時間は?」
「一時間とニ十五分」
ラビはネックウォーマーを鼻先まで引き上げ、前髪を掻き上げる。手慣れた手付きでナイフのシースを外し、グリップを握り直した。
「…………」
ツーッと男の滑らかな肌に触れ、その体温を感じとる。
脈打つ体はまだ温かく、耽美的だ。
「麻酔は?」
「なしで」
「じゃあ、左の脾臓から──」
眩い照明の下、うっとりと目を細めて。
腹部へ線を描くようにそっと、ナイフの刃を突き立てた。
Episode 1 - Ravil x Yuzuki end.
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