本屋

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「ずいぶん熱心ですね。」 「え?」 集中していたせいで、店員が近づいてきているのに気づかなかった。アリアは突然声をかけられて驚いてしまう。 「すみません、驚かせるつもりはなかったのですが…」 精悍な顔つきの青年だった。少し埃っぽい店内のすす払いをしているのか、手にはたきをもっている。口元も、先までタオルで覆っていたのか、首にタオルがまかれていた。 「…すみません、邪魔ですか?」 「いえ、ですが疲れませんか?あの窓辺で腰掛けてお読みいただいてもいいですよ。」 青年は窓の方を指さした。 「いえあの…買います…」 アリアは小声で言った。長々と立ち読みするのが申し訳なく思われた。しかし青年は首を横に振った。 「いいですよ、あんまり、持ち合わせないんでしょう?」 アリアは言葉に詰まる。随分直接的な言い方をしてくる人だと思った。 「すいません、僕そういうの分かっちゃうんで…あなた、ここ数日毎日のようにここに通って、そのあたりの演劇の本、全部読みあさってますよね?」 「…すいません。」 「ははは、別に怒ってないですってだから。ただあまりにも熱心だから、ちょっと理由が聞きたくなって。何か困ってるんですか?」 アリアは自分の行動に恥ずかしくなり、うつむいていたが、青年が優しく聞いて来るので顔を上げた。 青年の瞳はきれいな翡翠色をしていた。その瞳が、本当に彼の言う通り好奇心からか、少し光っているように見える。 「私…困っているんです。あの、どなたか劇作家さんとお知り合いだったりしませんか?その…この本屋の演劇の本があまりに充実していて、もしかしてこれらの本を寄贈してくださった方だったり、または書いてくださった方だったりが近くにいらっしゃったりとか…しないですか?」 アリアは思ったことをそのまま口にしたが少しまとまりのない話し方だったかと反省した。それというのも青年が、先ほどまでとは違い真剣な顔で何か考えだしたからだ。窓の外をじっと見て、眉間にしわを寄せ、腕組みしながらうなる。そしてアリアを頭のてっぺんから足の先までまじまじと見ると、よし、と言った。 「いいでしょう。劇作家、紹介しましょう。」 「…え?」 「そんな気の抜けた顔しないで…ちゃんとした劇作家です。天才ですよ、僕の知る限りでは。でもちょっと、癖があるというか…影があるというか…変わっているというか…見た目もブオトコですし…でもまあとにかく一回、会いにいってみてくださいよ。」 「え、あの…」 「こっちこっち。」 青年は一人で勝手に話を勧めながら、アリアの手を引いて店の奥まで連れていく。裏口近くまで来ると何やら扉の取っ手をつかんでぶつぶつとつぶやいた。アリアにはそれが、呪文のように聞こえた。もしかしてこの青年は、魔術師なんだろうか。それではこの扉の先の世界は、下界ではないのかもしれない。 アリアは無意識に、一歩引いていた。 「怖がらなくていいよ。大丈夫、ちゃんとこの扉空けて待ってるから…あ、ただその本は、ここに置いて行って下さい。」 「あ、はい。」 アリアは手を差し出す青年に本を渡す。そして促されるまま、扉から外へ出た。日差しのせいか一瞬あたりが真っ白になり何も見えない。アリアは目を細めて歩幅を小さく歩く。ああいった別の場所につながる扉のことは読んだことがあるが、扉の先に地面があるとは限らない。ただあの青年が自分をだましているようには思えないので、少しだけ警戒しながら進んだ。 3歩ほど歩くと視界が開けた。美しい緑があたり一面に広がっている。草原だ。すこし風の流れのはやい場所だ。そして遠くに高い建物がいくつも聳えている。とてつもない魔法の空間だ。魔女の村とは比べ物にならないほど巨大な空間を、別次元に作り出している。一体どんな強大な魔力を持った人が作り上げたのだろうか。アリアはふと、まっすぐ歩いた先に小さな小屋を見つけた。青年に何も聞けなかったが、なんとなくあの小屋にその作家がいるような気がした。 ぽつんと、さみし気に、小屋が立っていた。近づくにつれ、小屋の周りがちらほらと光っている。それも、虹色に。珍しい花が植えてあったものだ。アリアの苦手な薬学で、習ったことがあった。千変万花、魔術師はこれをアルコバレーノ(虹)と呼ぶ。この花はほとんど自生していない。はるか昔の魔術師たちが、大量に摘み取ったせいで今は見つけることが難しい。どうして大量にとられたかというと、その花が千にも万にも使い道があったからだ。魔術師の魔法の源と呼んでもいい。しかしこの花の使い方について、アリアはきちんと理解できていなかった。命のやり取りに使うという説明がどうにもしっくりこなかったからだ。 花を踏まないように小屋の入り口に向かう。手に汗をかいているのが分かった。のども乾いている。嫌に緊張した。どんな人なんだろうか。もっと青年に詳しく聞いてから来ればよかったと反省した。何を話したらいいだろう。まずは自己紹介だろうか。それともなぜ来たのか説明をしたほうがいいか。そもそも、彼は魔術師なのだろうか。だとしたら自分も、魔女だと名乗ったほうがいいだろうか。しかし自分から名乗ることはなるべくなら避けたい…相手が狩人だという可能性も捨てきれない。そんなことを考えているうちに玄関についてしまった。もう仕方がない。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。そう思ってドアをノックしようと手を挙げるが、その手がドアをたたく前に扉が開いて男が顔を出した。
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