醜男

1/1
前へ
/23ページ
次へ

醜男

ブオトコと言われるほど、彼は醜くない。アリアは最初にそう思った。小屋の扉から狭そうに身をかがめて顔を出した男は、仏頂面にやせこけた頬をしていて、不健康そうだった。ただ、彼からはかすかに魔力を感じた。魔術師だ。アリアの知る魔術師は、数多くはない。よく知っているのはトムくらいで、後は文献でかじった程度である。だから目の前の男が、どれほどの魔術師なのか、どういう生き方をしてきたのか、何を考えているのか、どう声をかけたらいいのか、まったくわからなかった。アリアが言葉に詰まっているのを見ると、男は機嫌が悪そうに目を細め、しかしドアを開けて中へ促してくれた。それほど悪い人ではないのかもしれない。 「これしかない。」 ぶっきら棒な話し方で、彼は茶を入れて出してくれた。話し方はともかく、声にはとても深みがあった。演劇をやっているからそう思うのかもしれないが、声というのは非常に重要だ。相手の耳に心地の良い話し方のできる人間は、おのずと相手に好かれるものだ。この男もまた、態度のわりにその声で、相手に嫌な気をさせないようだった。 「いいえこちらこそ、急に訪ねてしまってごめんなさい。」 「…下界からわざわざ、ここまで何の用だ。あの本屋から迷い込んだわけじゃないだろう。俺のことを知っていてやってきた風だ。」 「ええ…その、本屋の青年に聞いてきたんです。あなたのこと…私、フィアンマ劇団という劇団の座長をしているんです。」 「劇団?」 向かいに座ってお茶を飲もうとしていた彼の手が止まった。クマのひどい、鋭い目が、ほんの少し光を放ったように思った。 「ええ。それで、実は劇作家を探しているんです。」 「…気に入らんな。」 「え?」 「あんたは俺じゃなくて劇作家に会いに来たんだ。つまり俺である必要はない。」 「え、あの…」 「帰ってくれ。俺は下界の演劇に興味なんてない。」 ぴしゃりとした物言いだった。アリアは唖然とし、そして少しむっとした。もう少し話を聞いてくれてもいいじゃないかと思う。それに彼の言うことを要約すると、俺を必要としていないのであれば俺は動かない、と言っているように聞こえる。横柄な男だ。 「なぜですか。」 「何?」 「なぜ、下界の演劇に興味がないんですか。」 「なぜって…」 「そもそも見たことはあるんですか?」 男が不機嫌そうに黙った。 「見もしないものをよく否定できますよね。私の話も最後まで聞かない。なぜ劇作家が必要なのか聞く気もないと言った態度ですし…まあ私が勝手に訪ねてきたのが悪いんですけど…そんなに偉そうな態度をとるなら、さぞ素晴らしい経歴をお持ちなんですよね?」 「経歴だと?」 「本屋の青年はあなたを天才と呼んでいましたが、あなたの演劇は一体どこに行ったらみられるんですか?ぜひとも見てみたいものですわ。私があなたのことを知らなかったのが悪かったんですものね。劇を見てからもう一度、あなたを訪ねるかどうか決めることにします。」 アリアは一気にそうまくしたてると、出されたお茶を一気に飲み干し、席を立った。 「‥‥待ってくれ。」 男がアリアの行動に面食らい、出ていこうとする彼女の手をつかんだ。 「すまなかった…どうも言葉のかけ方をよく間違える…もう少し話がしたい。座ってくれ。」 男の言葉を聞いて、アリアは椅子に座りなおす。男はなんと続けようかと言葉を探しているようだった。 「ではまずお名前を聞いても?私はアナベル・トリア。皆アリアと呼びます。」 「…ハックル・トビー。ハットと呼ばれてる。」 「ハット?」 「ああ…この掘っ立て小屋からついた名前だ。ちなみにあんたいくつだ。」 「16です。」 「16…若いな…それで女座長やってるのか?」 「そうです。成り行きですが…それで、その成り行きが原因なんですが、今うちは役者不足でこれまでの演目が使えなくて、新しい演目を必要としてるんです。けれど誰も書いたことがないものですから、私が何とかしようと勉強していて…でもだめなんです。」 「…これまではだれが書いていたんだ。フィアンマ劇団といったか、記憶が正しければ地方巡業の劇団だろう。それなりに歴史があったと思うが。」 「はい。よくご存知ですね。先代は座長が劇作家をやっていました。しかし彼は病で座長を降り、私はこれまでの演目とネタ帳を託されているんですが、使いこなせず…。」 「…そうか。」 ハットは深く頷いた。そしてお茶を一口すすり、それは難儀したな。大変だったろう、とアリアを労った。アリアはその言葉に目頭が熱くなる。今までそんなことはなかった。しかし彼の言葉と声が、アリアの感情を高ぶらせ、涙を流させようとしていた。冷静に、アリアはその事実を受け止め何とか泣くまいと歯を食いしばった。ハットはそんなアリアの様子に気づいた様子もない。 「あんたの言うとおりだ。俺はずっとこの小屋で、自分の書きたいものだけを書き、見たいものだけを見て生きてきた。それで演劇の何たるかを分かった気になっている。しかしあんたが言うように、俺の功績は何一つ世に出ちゃいない。功績を残したいと思ったことはなかったが…あんたに会って少し興味がわいた。下界の演劇を見てみようじゃないか。」 彼の中でどういう考えがまとまって、そうなったのかすべては理解できなかった。しかしアリアにとっていい方向に向かいつつあることは分かった。アリアは頷き、明日のフィアンマ劇団の公演時間を知らせる。ハットは分かったと一言いった。 アリアは小屋を出る。ハットは入り口まで見送りに出る。不意に、外の花を見て彼に声をかけた。 「珍しい花が、咲いていますよね。」 「…あの花を知っているのか?」 「ええ…小さいころ…私の屋敷の庭にも生えていましたよ。たったの一輪ですけど。」 「…あの花はもう、そう滅多にない。」 「ええ、そうらしいですね。」 言ってから気づいたが、これではまるで自分が魔女だと教えているようなものだと思った。屋敷の庭に自生しないアルコバレーノを生やしているなんて、魔法族でしかありえない。しかし彼はそれに触れてはこなかった。元から気づいていたのかどうなのか、今はそんなことはどうでもよかった。演劇をするのに、互いが魔法使いであろうがなかろうが、特に変わりはないと思えた。芸術の前では皆等しくただの人である。アリアは小屋を後にした。明日の公演が少し楽しみになった。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加