ルル

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ルル

彼の書いた作品による公演が始まった。 出足から好調とはいえなかった。 無理もない。無名の劇作家が一人、宣伝ポスターに増えたところで目を止める客は増えない。だから、宣伝用の寸劇を、街の広場でやってみせた。この寸劇は受けた。おひねりをくれる客もいた。寸劇のストーリーは、公演予定の本作をかいつまんで短くしたものを、ハットが用意した。寸劇であれば人も少なく済む。アリアが歌えば人々は足を止めた。そして興味を持った人がいれば、公演のチケットをその場で買ってくれた。多くはなかったが、客足は少し伸びた。 ある日。工場の広い駐車場で、宣伝の許可が降りた。治安があまり良くなさそうだったが、それでも好意的な工場長の笑顔を見て断れず、宣伝に行くことにした。日々働き詰めの作業員たちの気が休まれば、と言う彼の願いが、現場について分かる。皆どこか疲れた顔をしていた。公演が始まる時、客は工場長を含め数人だった。しかしまたアリアが歌うと一人増え、二人増え、次第に人が集まった。身体中汚れた格好の男たちが、汗を拭きながら演技に見入る。 側から見ていたハットはその光景を見て、なんとも言えない気持ちになった。演劇とは、金持ちの道楽という考えがあった。だから、高貴な人々が着飾って談笑しながら楽しむものだと、そんなイメージを描きながら長く作品を書いてきた。しかしアリアに出会い、興味すら湧かなかった移動芝居を見て、思ったのだ。こちらの方がよほど、芝居らしいと。地に足のついた人びとが汗を流して働いたお金を、なんとか払って見にくる公演には、金持ちの道楽的な演劇にはない、一体感があった。今この場にも、一体感が生まれている。大きな感情のうねり。人びとの個々の想いが重なり合い、一手にそれを担うアリアを一層輝かせる。道具などなくとも、そこにはスポットライトがあった。ハットは脱帽する。この光景に。そしてこの光景を作り出し、自分に見せてくれたアリアに。 公演が終わり、大きな拍手をもらう。お金などなくても、団員達は笑顔だった。明日の公演に備えるためにテントに戻ろうとする。するとどこからともなく、穏やかでない音が聞こえた。暗い路地だ。避けて通ろうとするハットを、アリアが止める。 「行って見ましょう。」 「危ないぞ。」 「気になるの。」 「なら俺が一緒に行く。他の奴らは回り道してくれ。」 直感か、それとも何か見えているのか、アリアは音のする方へ急いだ。 「てめぇ、また逃げようとしやがったな!ふざけるなよ!なんのために俺がお前なんかの面倒見てやってると思う。」 「…」 「なんとか言ったらどうなんだ。」 「…」 「このやろう!」 「ちょっと!」 今にも、青年を打とうとする男の前に、アリアが立ち塞がる。ハットはアリアの大胆な行動に驚いて男の手を掴んだ。 「どうして打つのよ。」 「あ?なんだよてめぇらは。こいつは俺のものだ。俺がどうしようと俺の勝手だろう。」 「ものじゃないわ。人よ。なぜ打つの。」 「うるせーな。関係ねーだろ。言うこと聞かねーから仕置きしてるだけだよ。」 「まだ子供よ。」 「ふん。だからなんだよ?そいつの親父は借金で首が回らなくて俺にそいつを肩代わりに置いてったんだ。だから俺が使ってやってる。なのにそいつ言うことは聞かねー、口はきかねー、挙句逃げようとしやがる。だから教えてたんだよ。お前はこっから出られない。俺の元から離れられないってな。」 貧困のうむ悲劇だ。いくつもそんな場面を見てきた。金がないとそこには悲劇が起こる。現実の方がよほど演劇なんかより残酷なものだ。ハットは男の手を離してアリアに言う。 「行こう、どうにもできない。俺たちには関係ない。」 しかしアリアはそう言うハットをきっと睨んだ。 「どうして?」 「なに?」 「ふざけてるじゃないこんなの。間違ってる。」 その正論を聞いて、男は笑った。 「どこのお嬢様だよ。いい身なりだもんな。でもそのノッポの言うこと聞いた方がいいぜ。ここにはここのルールってもんがあんだ。」 「どんなルールかお聞かせ願うわ。この世のどこに、子供を無碍に扱うことが許されてるルールがあるの。お金で解決するなら、私は出し惜しみしないわ。いくら有ればいい?その子、私が、買うわ。いくら払えばいいの?」 「はっはっはっは。」 男が大層おかしそうに笑った。ハットは慌ててアリアを問い詰める。 「馬鹿げてる。人身売買は違法だぞ。買ったものにも責任がついて回る。何を言ってるか分かってんのか。それにそんな金どこにあるんだ。」 「知ったことじゃないわ。私はあの子を助ける。絶対に。」 「おかしなお嬢様がいたもんだ。いや大した慈善の心。脱帽もんだな…だがあんた分かってない。そう簡単に解決するわきゃないだろ。ま、あんたが身代わりにその身体で払って働いてくれんなら、願ったり叶ったりだがな。」 男はニヤリと嫌な笑い方をして、アリアをジロジロと見た。アリアはその視線にも怯むことなく、青年の前から退かなかった。 その時。ニヤリと笑った男の後ろに回り込んだハットが、何かした。何をしたのかアリアにも、青年にも見えなかったが、微かに魔法の気配を感じた。そして男はその場にドサリと倒れ込んだ。ハットは無表情で当たりを警戒すると、その男を軽々担ぎ上げた。 「行くぞ。」 「え?あ…」 アリアは何が起こったのか聞こうとしたが、ハットの有無を言わせぬ態度に口をつぐみ、小さくなっていた青年の手を優しく引いて歩き出した。
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