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役者
なぜあんなに必死に彼女が青年を助けようとしていたのか、ハットはようやく理解した。青年を連れ帰り、怯える彼を風呂に連れて行った彼女が、満足そうな顔をして戻ってきたのを見れば、なんと青年は、青年ではなかった。
「女性だったのか。」
「そうよ。それに見て、とっても綺麗な顔だちをしている。きっと、良い役者になれるわ。」
「本人の意向は無視か。」
「さっき話したわ。ちゃんと名前もある。ね?怖がらなくていいから、みんなに挨拶して、ルル。」
アリアの後ろに半身隠れていたルルを、アリアは前に押し出した。たしかに、綺麗だ。抜けるような肌に、艶やかな金の髪。短く切り揃えられているそれのせいで、青年のように見えた。手足は細く痩せているが、女性とわかればそれなりに膨らみもわかる。
「ルミナ・ルノー…です。…さっきは…ありがとうございます。」
後半の礼は、はっきりとハットに向かっていった。まわりの団員達は暖かな拍手をする。何があって彼を連れてきたのか聞く人はいなかった。ただアリアが、新しい仲間が増えると言えば、それ以外に理由や説明はいらない。彼女に対する皆の信頼が見て取れた。
「さっきの男はどうするつもりなの。」
廊下でアリアが小声で聞いてくる。ハットは先の男を担いだまま自室へ連れ帰っていた。
「どうもしない。あいつは最早あいつじゃない。今日からジョット、私の従者だ。ルルには、お前の知る奴は死んだから心配するなとだけ伝えてくれ。」
怪しすぎる彼の言動だが、アリアはそれ以上何一つ追求せず、ありがとう、助かったわとだけ告げていなくなった。ハットはその態度に、いい女だと、柄にもないことを思った。
ルルの稽古が始まった。彼女は読み書きが出来ない代わりに、恐ろしいほどの集中力と記憶力を持ち合わせていた。その集中力で、長時間の稽古にも難なく耐え、記憶力で台詞や舞台上でのたちまわりを一発で覚えた。しかし、育った環境のせいか、感情を表現する演技が苦手だった。淡々と話す台詞の役には向いたが、主役級の配役はまだ難しかった。とりあえず、ナレーションから慣れてもらった。読むときに抑揚をつける練習をしてもらう。意外なことに、アリアよりもハットの方が、熱心に指導した。アリアは、自分もまた感情を表現することが得意でなかったからこそ、これには助かった。団員から、最初は訝しげな顔で見られていたハットも、ルルを熱心に指導している姿を見て好印象を受けたのか、ちらほら彼に演技や演出の指導を受けに行くようになっていた。アリアにはそれが、微笑ましかった。
「次の演目はルルにアリアの相手役をやってもらいたい。」
「私は構わないけれど…ルルはどう?」
「…やってみたい、です。」
「では決まりだな。それとリリも、そろそろ顔見せで歌のある役を当てたいが、いいだろうか。」
「ええ、リリはいつでも大丈夫よ。」
「わかった。」
心なしかハットがウキウキしているように見えた。表情こそ見えなかったが、その細長い足で今にも軽快なステップが踏めそうな、足取りの軽さだった。きっと、表現できる劇の幅が広がって嬉しいのだろう。これまでの劇は、アリアの相手はエリックと決まっていたが、エリックには致命的な弱点があった。それは、色が強いことだ。彼が演じる役は全て彼の色に染まってしまう。だから、相手役の描き方が単調になってしまっていた。なんとなくアリアにもそれが分かっていたが、役者不足ではどうにもならなかった。
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