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序章-最後の雨-
この世の終わりを感じさせるような絶望の夜だった。
夜空を支配していたのは真っ赤に染まった満月だ。
雲ひとつない夜空なのに、雨が深々と降っている。
「1人たりとも逃すな! まだガキ2人がどこかにいるはずだ!」
月明かりが届かないほど鬱蒼とした森に大人達の怒声が響き渡った。
雨にぬれた地面を幾つもの足音が走っていくのを感じる。
息を潜めて、誰もいなくなるのを待った。
寒さと恐怖で手が震える。汗が滴る。動悸が激しくなってくる。
自分の衣擦れの音すらも、今はとてつもない爆発音に聞こえるだろう。
それほどまでに心も体も緊張している。
腕に抱き抱える弟、この子だけは絶対に死なせない。
父さんも母さんも殺された。
生き残っている一族は、おそらくもう俺とこの子だけだろう。
奴らの言葉からもそれが窺えた。
腕の中に眠る弟に視線を落としてみる。
こんな状況にも関わらず、フワフワの金色の髪を雨風に遊ばせながら安らかそうに眠っている。
俺らを逃す直前に母さんがこの子に睡眠魔法をかけたおかげだ。
どうか寝言や夜泣きだけはしないでくれよ。
絶対に逃してやる。そしたらどれだけ泣いたって俺があやしてやるから、それまではどうか起きないでくれ。
「どうだ、いたか?」
「いや、まだ見つからねえ」
「まだ里からは出てないはずだ。必ず見つけ出して、ここでケリをつけるぞ」
「ああ」
その会話を最後に人の気配が絶たれていく。
俺は走り去っていく足音を逃すまいと耳を澄ませる。
誰もいなくなった。
そう確信を持ってから俺は体を起こす。
木の影に隠れながらゆっくりと立ち上がり、俺は周囲を見渡す。
……誰もいない。
里の方角の木々の間から、オレンジ色の光が見えた。
恐らく、もう俺達の故郷はない。
一刻も早く、この里から離れよう。
確か父さんは、東に向かって走り続けろ、と言っていた。
何があるかは分からないが行くしかない。
決意すると緊張してくる。
自然と息遣いが荒くなってくるが、背後の木に少しばかり体重を預けて呼吸を落ち着かせる。
大丈夫だ……行ける……。
一歩目をゆっくりと踏み出した。
水たまりを踏み抜く音すらたててはいけない。
敵はどこにいるか分からない。
二歩目……警戒心は解くな。
三歩目……よし、順調だ。
四歩目……を踏み出すと同時に俺は走りだした。
力量操作魔法を発動し出力最大にして、走力を限界まで上げる。
一度、走り出して距離を稼げれば逃げ切れる自信があった。
俺はこれでも神童と呼ばれているんだ。大丈夫、大丈夫だ、逃げ切れる。
この速度なら森を抜けるまでは5分くらいか……。
しばらくは走り続けた。
腕の中の弟はまだぐっすりと眠っている。
大丈夫だ。大丈夫。
あと少しで森を抜けるだろう。
立ちはだかる木々が減ってきた。一気に視界が開ける。
森を抜けた。神々しいほどの月明かりがその空間を照らしていた。
その瞬間、フラットだった視界が回転した。
何が起こったか理解できなかった。
左頬にズキズキとした痛みが広がっていくのを感じる。体が横転しているのが分かった。
森から出た瞬間に殴られたんだ。
弟を探す。少し先に光のベールに包まれて、浮いている弟がいた。
父さんの防護魔法だ。良かった。
濡れた地面に両手をつき、起きあがろうとするが体が言うことを聞いてくれない。
視界がまだグラグラと揺れているのを感じた。
敵がいる。すぐに態勢を立て直さないと。
悲鳴をあげる体を制御して無理矢理にでも体を起こし、立ち上がる。
弟とは反対方向の少し離れたところに誰かが立っている。
おそらく男だが月明かりが逆光になり、顔は判別できない。だが誰だろうと関係ない、俺が今戦わなければ2人とも殺されてしまう。
男は頭を左右に揺らしながら、うめき声を漏らしている。
両手をだらんと下ろして、まるで人形のように何かに支えられて体勢を維持しているかのようだった。
平衡感覚は回復してきた。恐怖に打ち勝てているわけではないがやるしか無いんだ。
俺は両掌を開き『剣』をそれぞれに生み出す。
絶対に、死なせない。せめて……せめて弟だけは……。
「俺が守るんだっ!!!」
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