第1章-エール・クォールズの朝-

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「おーいー! ほたるー!」 聞き慣れた元気溌剌(はつらつ)な声が視界の外から聞こえてきた。 振り向くと、ほたるがここで時間をボーッと過ごしている必要があった理由の少女がこちらへと走って近づいてくるのが見えた。 健康そうな褐色肌にツンツンの金髪を頭の天辺(てっぺん)で結んだキアラ・マクドゥだった。 ほたると同じ高等校の女子制服を着て素足にローファーを履いている彼女は、制服の着こなしがやたらと雑に見える。 両手にはパンパンに膨らんだ大きな袋を抱えていて、やたらと満面の笑みを浮かべている。 「キアラ、遅いわよ!」 キアラに向かって腕を組んで戒めるように吠えるほたる。 しかしキアラは、ほたるの小言をものともせず、空いた隣のベンチに勢いよく着席した。 「ほたるにもあげるなー?」 両腕に抱えた袋を開き、中から大量の肉まんが顔を出す。 その中の1番肥えてそうな大きいものを選んでキアラは渡した。 「ど、どうしたの? こんなにたくさん……」 差し出された肉まんを受け取ると、手の中が温度が温かくなった。 アツアツの出来立てホヤホヤではないのかもしれないが、キアラの気持ちに動揺しつつも少しばかりの微笑ましさを感じる。 「来る途中で屋台のおっちゃんを手伝ったらくれたんだ!」 自分の分を取り出してゆっくりと2つに割ると、中から肉汁が溢れ出しそうになるほどジューシーでキラキラと輝く餡が顔を出した。 キアラ自身の目もキラキラと輝き出す。 「くれたって……こんなにたくさん? あんた何手伝ったの?」 「最初は普通に買っててなー?そしたらなー?バイトがばっくれたって言っててなー?嬢ちゃん可愛いねって話になってなー?」 「な、いきなりそんなこと言うなんてなんか危なそうな人ね……」 キアラの言葉からその情景を思い浮かべてみて、少し危険な雰囲気を感じずにはいられないほたる。 「手伝ったら肉まんあげるって言われたからなー? 手伝った! めっちゃ売った! もう100、200じゃなくてめっちゃ!!」 半分に割った肉まんの片割れを一口にしてしまうキアラ。 「あんた、バイトしてたってこと!? 新学期初日だってのに何考えてんのよ!」 予想外の経緯に頭から角が生えそうな勢いで激昂するほたるが大きく怒鳴った。 ちらほらと登校しだしてきている学生達がビクッと体を震わせ、そそくさと通り過ぎていくのが横眼で見えた。 「ぬはー! ほたる怒ったかー!!」 「当たり前でしょ!こっちはあんたがちゃんと時間割登録を考えてきてるのか確認するために約束の時間の8時には来てここで待ってたのよ!」 今度は牙が生えそうな勢いで吠えたてる。 グルルルッ、と獰猛な肉食獣のように喉を鳴らしてそうな雰囲気だ。 「まーまー、この肉まんでも食べて落ちつきたまえ!」 そう言うとキアラは、唸ってるほたるの口に自分の肉まんの片割れを強引にねじ込んだ。 「あんたゼミのしんせ、むぐっ!!」 ほたるの口の中にフワフワの温かい生地の感触が広がる。 思わず噛むとスルッという得もいえない確かな歯ごたえで生地を突き破り、中の餡がすぐさま舌の感覚器官を満たす。 美味しかった。 「んむんむんむ……」 一瞬怒りを忘れ、感情を口の中の肉まんの味に支配されてしまうほたる。 「旨いだろー? キアラもここの常連になるって決めたんだー」 袋の中からもう一つ取り出して今度は1個を丸ごと口の中に放り込んで咀嚼する。 人噛みする毎に幸せそうな表情で旨さを噛みしめるように震えるキアラ。 「確かに、凄い美味しいわね……これなんてお店の? 私も帰りに買って……って、ちっがあああああああああああああう!!!!」 「わあああああああああああああああ!!?!?!?!」 味を堪能していたはずのほたるが途端に豹変する。 そのギャップあるリアクションにキアラも驚いて、肉まんの詰まった袋を落としそうになる。 バランスを崩したところで何とか踏みとどまるが、姿勢を保つために奇怪な恰好になってしまう。 「こんなことのんきにやってる場合じゃないのよ! あんた履修する時間割決めてきたの!?」 「……!? ……!!?」 もはやキアラは錯乱状態だ。 「決めて、きたのかって、聞いてんの!!」 一語一語詰め寄るように強めるほたる。 角、牙ときて最後に雷が降ってきそうな勢いだ。 「どうせ決めてないんでしょうが! もう我慢ならない! ちゃんと時間割が決まるまで教室から出さないからね!」 鬼とはこの人のことか、とキアラは無意識に思っていたのかもしれない。 彼女には、ほたるが黄色と黒の稲妻模様の装束を着ていっぽんの立派な角が生え、喋るたびに光る牙、背後を駆け巡る稲妻、それら全てを兼ね備えた鬼に見えてしまっていた。 むんず、とキアラの首根っこを掴んで校舎へと引きずっていくほたる。 キアラは涙目になりながらも、肉まんたっぷりの袋はしっかりと両腕に抱えたまま連れ去られていく。 今年も悩みは尽きなそうね、と心の中でため息をつくほたるであった。
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