かけがえのある物語

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「アイシャの鼻、次のお客さんが来るまでの間に切っちゃおうか」  店の窓から通りをのぞいたお母さんにそう言われ、私は慌ててお手伝い用のエプロンを脱いだ。 「やだよ! もうブラチーノ始まっちゃうもん!」 「あら、そっか今日水曜日ね。ブラチーノがどうやって時計塔の牢屋を脱出したか、後で教えてね」 「了解!」  エプロンを壁のフックにかけ、店の奥の階段を駆け上がる。  うちのリビングは美容室の2階。通りに面した窓を開ければ花の香りのする風が吹き込み、部屋の空気が春色に換わる。  テレビのスイッチを押すとブゥンと低い音がして、現実より少し色褪せた世界が四角い画面に映し出された。ちょうどオープニングソングが流れ始め、ブラチーノと仲間たちが笑顔で草原を走っている。  私は彼らを見ながらソファに座り、胸に抱えたクッションに顎をうずめた。 「ブラチーノの冒険」は、世界中で放映されているテレビアニメだ。主人公のブラチーノは孤児で貧しくても明るくて、勇敢で仲間想いなキャラクターが人気を集めている。彼の真似をして鼻先だけを青く染めるのが今の流行りで、うちの美容室にも3日に一人はそれを希望する客が来るほどだ。
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