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かくして翌週からこの会社に通勤することとなった。
初めの1週間は福祉用具の分厚いテキストを読まされ、その次の週から介護畑での経験が長く、介護福祉士や社会福祉士の資格までもっている金原が、1ヶ月間、用具のみならず福祉業界のいろはを教えてくれた。
そして今日からいよいよ本業。福祉用具専門相談員の助手として、主に搬入搬出の手助けをすることとなったのだ。
同行の最終日、金原が眼鏡の奥の小さな瞳を光らせながら、意味深に言ったあの言葉が気になる。
『真木には気を付けろよ』
「お前わけあり?」
ある日、シートに座り直しながら真木は突然切り出した。
「何、ですか、急に」
「うちの課長、わけありの人間採用するの好きだから」
そうなのか。外川のにやついた顔を思い出す。
「そういや最近姿が見えませんね、課長」
「なんかよくわかんないけど、青森のセキュリティ会社と契約するらしくて、そっちに出張が多いんだわ」
「へえ。セキュリティですか。課長業務は幅広いんですね」
「それで?」
「は?」
「とぼけんな。お前の方は?」
「ーー高校中退です」
「はっ。それ訳ありにはいんの?」
「十分入ると思います。前の会社はそれがバレてクビになりましたし。松が岬市でもシークロスだけです。面接してくれたの」
「へー。そんなに偏見あるかねー。体つき良し面良しの好青年なのになー」
「ありますよ。偏見以上のものが」
ちらりとこちらを見る大きな目にいろいろ見透かされそうで、慌てて言葉を返す。
「他の人もわけありなんですか?」
「あー。まーな」
目をそらし正面を見る。
「金ちゃんはさ、ああ見えて俺と同い年なんだけど、幼女趣味で、課長の一人娘をストーカーしてたときに捕まったのが出会いだしー」
「え?マジすか?」
「岡田いるでしょ。一番若くてジャニーズ系のイケメン。もともとは利用者家族だったんだよ。でも不登校に次ぐ不登校で万年ニート。昼夜逆転した生活で、ゲーム廃人と化してたのを、課長が引き込んだの」
「へえ」
「安藤さんには会った?いつも忙しくてほぼいないけど。あの人はね、マジの前科者。何人殺ったって言ってたかなぁ?こっそり見てみ。左手の小指、おかしい角度でくっついてっから」
想像して思わず身震いする。
「まー、誰でも、初めての人生を必死で生きてるんだ。叩けば埃も出るさ」
言いながら頭の後ろで腕を組む。
「ーーー聞いていいすか?」
「ダメって言ったら黙んのか」
笑いながらその手でうなじを掻いている。
「真木さんってなんか香水とかコロンつけてますか?」
「はあ?何それ」
「いつも甘い匂いするんすよね」
「きもっ。やめろよ。何もつけてねーよ」
しばし車内に沈黙が走る。
「ーー聞いていいすか」
「 聞きたがりやさんだな、九石は。次キモいこと言ったら殴るからな」
言いながら本当に拳を作って振りかざす。
「真木さんも訳ありですか?」
一瞬止まった拳は、力なく宙を殴って、膝の上に着地した。
「ーー見てわかんだろ。とらんすじぇんだー、せーどういつせーしょーがい。昔で言うオナベってやつだな」
わかってはいたが、本人の口から聞くとやはり少し重みが違う。
「気色悪いだろ」
「そんなことないですよ」
「はいはい。いーの。無理しなくて」
言いながら肩に肘を置き、頭をぐわしぐわしと撫でてきた。
「恋愛の対象も女性ですか?」
「ズカズカ聞いてくるね。まあ、まともな恋愛なんてしたことないからわからん」
「え、一度もですか」
「いーんだよ、俺のことは!とにかく、高校中退なんて経歴、ここじゃ地味な方だ。もっと励めよ!」
励めって。言いながらヘラヘラ笑っている。しかしその目には蝋人形のごとく温度がない。
「あー、そこ左。コンビニで時間調整しよう」
「え、もうあと10分もないですよ」
「いーんだよ。1本吸わせろー」
さっきも吸ってたくせに。
言葉を飲み込んで駐車場に停めると、スタスタと喫煙コーナーに行ってしまった。
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