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「そこの角。白い軽の横に停めて」
言いながら先ほどボンネットに滑り投げた作業書を手繰り寄せる。
車を砂利の駐車場に停めると、腕時計を見る。
「はい、10時ジャスト」
あたかも狙ってジャストに来たような口ぶりだ。
コンビニでの喫煙がなければもう少し早く来れたのに。
呼び鈴を鳴らすと同時に、
「トキ子さーん、おーい」
細い体のどこから出してるのかわからないほど大きな声で叫ぶ。
「はーい」
か細い声が応える。
「あがってー、真木くんー」
慣れた調子で家の中を右へ左へ移動していく真木に着いていくと、奥の居間にちょこんと小さいおばあさんが座っていた。
「お久しぶりねー、真木君。元気だった?」
なぜか厚い握手が交わされる。仲のいいお客さんなのだろうか。
「トキ子さんほどじゃねーけどな」
「お忙しいところ悪いけど、また外用の歩行器、引き上げ頼むね」
「はいよ。また春になったら持ってきてやっから」
外で使う歩行器、車イスは、この地方では冬季間、積雪のため使わなくなる。春にまた、メンテナンスしたものと交換になる。
「今回は早めに、3月の中頃には持ってきてくれない?」
テーブルの上に準備していた漬物の皿のラップを外しながら言う。赤大根の酢漬けと、キュウリの一本漬けだ。
「3月なんて。まだ雪あんじゃん」
それを取り分け用の箸で小皿に取り分けながら、真木が首をかしげる。
「あのね、孫の結婚式があるんよ」
トキ子さんは嬉しそうに胸に手を当てた。
「娘は若くして病気で亡くなったでしょ?だから私が代わりに花束もらうことになって。車イスじゃカッコ悪いから、歩行器で出たいんよな」
「そっか。大丈夫だ。具体的に何日から必要か教えてもらえば。その前に搬入してちょっと練習期間あるように、デモ扱いにして、3月は料金発生しないようにしとくよ。単位数も相変わらずギリギリでしょ?」
ボリボリと漬物を頬張りながら器用にペラペラと話す。
「いつも調整してもらって悪いなー」
「んなの気にしなくていいから。楽しみにしすぎて、また心臓トカトカなんねえように気いつけてな」
トキ子さんは胸に当てた手をわずかに左にずらして、もう一度大きく頷いた。
後ろで口角を上げることを意識しながら二人の話を聞いていた九石は、今まで見せたことのない顔で微笑む真木を盗み見た。
誰だ、この人。
その視線を感じてか、
「お前もいただけ。トキ子さんの漬物は絶品だから」
九石の分も取り分けて渡される。
「それはそうと家用の歩行器はどう?見せて」
椅子のわきにある歩行器に寄っていき、押してみている。
「やっぱりだな」
言いながら手帳を開いている。
「来週頭にメンテナンス交換。いいか」
「はーいー」
トキ子は座ったまま深々と頭を下げた。
「どうぞよろしくお願しーー」
「うまい!」
思わず呟いてハッとした。振り向いた真木とトキ子は顔を見合わせて吹き出した。
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