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目覚ましが鳴る。一睡もできなかった上体を起こし、瞼を開ける。
遮光カーテンではあるが、微かに漏れる光で、部屋中が仄かに明るい。南側の窓の前に立ち、迷いを打ち消すように、一気にカーテンを引く。
あまりの眩しさに目の奥に湧いた痛みを封じるように、数秒間瞼を閉じる。と、軽く息を吐きながら、リビングに移動する。準備してあった着替えに腕を通すと、ソファに軽く腰かけた。
テーブルにはピンクの付箋紙が置いてある。
“三度目の正直”
彼が作ってくれたものだ。
左上には5月2日、すなわち、今日の日付がかかれている。
それを大事にポロシャツの胸ポケットに入れると、努めて深く考えずに出掛ける支度をする。手足から糸が伸び上で誰かに操られるのを意識しながら、ただ体を動かす。
あっという間に支度は終わり、玄関の鍵をかけた。トントンと調子をつけて階段を下り、車に乗り込む。
エンジンをかけ、発進する。駐車場から頭を覗かせ、左折のウインカーをつける。
毎度のことだが、ここは市役所から駅に続く道でとにかく車が切れない。ゴールデンウィークとなると県外ナンバーも加わるので尚更だ。
右を向いて途方もなく続く車の列を眺めていると、
『おせーよ』
助手席から声が聞こえてきた。
ザワッと全身に鳥肌が立つ。ゆっくり助手席を振り返ると、そこには煙草を咥える彼がいた。
「……真木、さん」
靴を脱いで膝を立てている。
『ちゃんと目覚ましかけたのか?』
透き通るような白い肌に穴が開くくらい見つめる。
『あ。今、行けたのに。ちゃんと道路見とけよ。とろいな』
言葉と共に口から煙が吐き出される。だが、煙草の香りは一切しない。
そういうことか。
開け放った窓からの風で、茶色の髪をなびかせた彼は、五月だと言うのに、冬のダッフルコートを羽織っている。
一緒に過ごしたのは、10月から2月。
思えば彼の冬服しか見たことがなかったことに気がつく。
自分の硬い脳みそでは、半袖の彼を想像し、創造することは出来なかったようだ。
“暑くないですか?もう5月ですよ”
そう言ってしまったらその体が消えてしまうような気がした。
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