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◇◇◇◇◇ 車が動き出すなり煙草を取り出した真木が、日が落ちてすっかり暗くなった田んぼ道を眺めながら足を立てる。 「……もしかして」 そのいつもと変わらない顔を見ながら聞いてみる。 「引き上げ遅れたのって邦子さんのためすか」 微動だにしない。 「邦子さんの心が整理できて、落ち着いて、娘さんと食事に出掛ける日にタイミングを合わせていたんですか?」 真木はフッと笑うと、 「深読みすんな。めんどーだったんだよ、俺が」と煙草に火をつけた。 「あの、社用車禁煙なんですけど」 「安藤さんが吸うのやめれば俺もやめる」 思わず吹き出すと、煙草を咥えながら真木も笑った。 「もう5時になると真っ暗だな」 「そうですね。田んぼしかないですしね、ここらへん」 「おー?松が岬市をバカにしたなー?」 「してませんって」 車の通りもないのに、信号が赤になり、停まる。遠くで高速を走る車の光だけが輝いている。 「見ろよ。花火が綺麗だな」 外を見ていた真木が呟くように言う。 「花火?こんな時期ーーー」 言いかけて呆れる。田んぼの真中に似つかわしくない古いラブホテルがあり、派手な看板が“オアシス”と花火風に光っていた。  真木が笑い、白い煙を吐きながら、窓を少し開けている。 思えば、こうして真木が煙草を吸っている姿をまじまじと見るのは初めてかもしれない。 細い指で緩く挟みながら、口に運んで、唇がパッと音を立てて煙草を弾くと白い煙が中から吐き出される。 他の人がしていても何も感じないその単純な動作が、妙に滑らかしく見える。 「おい。月が綺麗だぞ」 助手席に身を寄せて覗き込むと、白い月が煌々と夜空を照らしていた。 「ーーもうすぐ満月だな」 その言葉に反射的に返す。 「いつでも満月ですよ」 「は?」 「あ、すみません、変なこと言って」 信号が青に変わる。 運転席のシートに体を戻し、アクセルを踏む。 「俺の母親、俺が中学生のときに亡くなったんです。その数日前、緩和ケア病棟の大部屋で、向かい側の人が亡くなってしまって。ベッドを片付けてる看護師たちが、“今日は満月だもんね”って言ってたんですよ。満月とか新月って人が死ぬって言うじゃないですか。死を目前に控えた母の前で言わないでほしいなって、俺、睨んじゃったんすよね。そうしたら母親がーー」 8年も前のことだ。淡々と話していたはずなのに、急に言葉がでなくなった。 軽く咳払いをしてから続ける。 「気にしなくていいの。地球から見て満月とか新月って言うだけで、月はいつでも丸いんだからって。毎日満月だから、関係ないよって」 最後まで言うと、やはり涙が出てきた。思わず自分で笑ってしまう。 「人も同じ。欠けているように見えて、実はみんな満月なんだよ。見えない部分を見ようと、感じようと努力する人間になってほしい。だから…」 「ーーだから?」 「あ、いや」 慌てて取り繕う。 「とにかくそんなこともあって、いつも月を見ると、母親を思い出すんですよね」 なぜこんな話を真木にしているのだろう。いや、思えば、誰かにすること自体、初めてだった。 「ーー毎日、満月か」 白い煙を吐きながら、真木が月を見上げた。 「このあいだ、さ」 静かに続ける。 「お前の言ったこと。想うだけ想って、後悔しきらないと進めないって言っただろ。あれ、お袋さんのことだったんだな」 「……その件なんですけど」 きちんと目を見て謝罪しなければ。田んぼ道にハザードランプをつけて停まる。 「生意気言って、すみませんでした」 「ーーおいおい。謝っちゃうのかよ」 短くなった煙草を携帯灰皿に押し込みながら真木が笑う。 「俺はあれからずっとそのこと考えてた。一理あるよ、確かに」 月明かりに照らされた真木の顔は、いつもより白く透き通って見える。 「悲しさに蓋をして見ないふりをしたら、腹ん中で消化不良起こして、いつまで経っても消えてくんねーんだよな」 言いながら2本目に火をつける。 喫煙の匂いは苦手だが、真木が吸うそれは不思議と甘い香りがした。 「……今さら牛みたいに咀嚼して消化するなんて出来ないっつーね」 「…………」 独り言のように呟く真木に、どうしても聞けなかった。 ーー真木さん。あなたは、誰を失ったんですか?
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