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事務所の電気は消えている。この数十秒間でもう消えている。 ーーー中で何してんだよ!  思わずドアを叩く。反応はない。 もう一度叩く。やはり反応はない。 ーーーもういっそ蹴り飛ばすか。 「……何してんの、お前」 助走のために数歩引いたところで、後方からすっとんきょうな声がした。 「どーした?忘れ物?」 コートを着た真木があきれた顔で立っている。 「ーー真木さんこそ、課長に頼まれた仕事は……?」 「明日でいいって言ってたろ。さすがに俺も疲れたわ」 ため息をついた真木が九石を軽く押す。 「たく、とろいな。閉めちゃったよ」 ズボンのポケットから鍵を取りだし、カチャカチャと回す。 「財布か?携帯か?」 「ーーそ、そんなとこです」 「どんなとこだよ。ほら、とってこい!」 言ってドアを開ける。 暗い事務所に寝息が聞こえる。 「ーー行ってていいです」 「いやいや、鍵持ってねーだろ、お前。早くしろって」 慌ててデスクに駆け寄り、適当に名刺入れをポケットに突っ込む。 「ーーありました。すいませんでした」 苦笑いしながら頭を下げると、首を傾げた真木が、おもむろに九石のポケットに手を突っ込んだ。 押し込んだ名刺入れが引っ張り出される。 「………お前、今から誰に挨拶するつもりだよ」 真木は笑いだした。 「なになに、何だよ、お前。笑かすな!」 ケラケラ笑う真木に、もう黙り混むしかなかった。 暗闇の中で、課長がいびきをかいている。 「すげーな、もう寝てるよ」 まだ笑い足りないのか真木が涙目でこちらを見上げる。 九石は笑うに笑えず、ただ俯いて唇を結んだ。 「……………」 その姿を見て何か思い至ったのか、急に真顔になった真木は、外川と九石を交互に見つめた。 ーーーやばい。バレた……? しかし真木はふっと小さく息を吐いた。 「バーカ。帰んぞ」 鍵を閉めた真木の後ろについて、暗い廊下に二つの雪用長靴の音を響かせながら歩く。 ーーー変だよな。どう考えても、俺。 何も聞いてこない真木に違和感を覚えつつ、エレベーターに二人で乗り込む。 ドアを閉めて、1階のボタンを押したとたん、真木が煙草に火をつけた。 「………おい。突っ込めよ」 真木が睨む。 「え?」 「こんな密室で吸ったら副流煙やばいだろ」 「……こんな密室で吸わないでください。副流煙ヤバイんで」 棒読みで復唱すると、顔に思い切り煙を吐き出された。 鼻から容赦なく喉元に入ってきた辛い煙に、思い切り咳き込む九石を見てケラケラ笑っている。 「あんたは、ほんっとに!」 思わず口をついて出る。 「何だよ?」 数秒の沈黙が続いたあと、ポンと言う音とともに密室が止まりドアが開いた。 「……じゃーな。気ぃつけて」 スタスタと廊下を進み、ギギッと鈍い音を出してビルのドアを開けて出ていく。 ガラス越しに雪の中に消えていく影を見送りながら、九石は壁に手をついた。 荒い呼吸を繰り返す。 ーーーもう抑えられそうもない。 自分の胸を焦がすこの感情が、真木を傷つけるかもしれないのに。
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