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男が男に、女が女になるのはどの瞬間だろう。 母親のお腹の中?生まれてから? 黒と赤のランドセルで分けられてから? セーラー服と学ランを着てから? 男と女では姿形はもちろん、仕草が全く違う。 足を開いて座るか閉じて座るか、そんな単純なことではない。 頭の掻き方、目の擦り方、食べ物を頬張るときの口の開き方、煙草の持ち方、振り返り方、笑い方、携帯のいじり方、空の見上げ方、ため息のつき方、のびの仕方、歯の磨きかた、顔の洗い方、手の振り方、足の組み方ーーー。 動作と名のつくもの全てが、男女で違う。 それが骨格や筋肉のつき方から成る差違だとすれば、心と体で違う性を持つ人間はどうなるんだろう。 毎日一緒にいて、日常のありとあらゆる動作を見ているとわかる。 真木は男だ。脳ミソから体の毛細血管に渡る隅々まで男だ。 そう思いながら、今日も喫煙所に座っている真木を、事務所から見下ろす。 「とっくに朝礼の時間なのに上がってこないね、馬鹿共は」 三咲が窓際に立つ九石に並ぶ。 「早朝から雪掻き頑張ってくれたから、目を瞑るか」 「そうすね。雪があんな重いなんて、びっくりしました」 「溶けて凍ってを繰り返すと圧縮されるからね。特に今年は暖冬だから」 「なるほど。でもそれにしては……」 三咲からコーヒーの入った紙コップを受け取りながら、九石は続けた。 「真木さん非力なくせにザクザク履いてたな」 「ああ。だって、肘岳出身だから」 「肘岳?」 「北の県境で、ものすごい豪雪地帯。曰く雪かきは筋肉じゃないんだって。腰使いなんだって」 「はは。らしいな。その言葉」 カップを唇につけたり離したりしながら、三咲が九石を覗き込む。 「あれ…。九石君も煙草吸うようになった?」 「え?いいえ。何でですか」 「なんか煙草の匂いがしたから」 「はー。絶対真木さんのせいだ!もう遠慮なくスパスパスパスパ!人に吹き掛けてくるからあの人!」 「え。ホント?」 三咲が意外そうな顔をする。 「……へえ。真木さん、人前じゃ煙草吸わないってある意味有名なのに」 「え、そーなんすか」 「ほら、今だって喫煙所にいるけど吸ってないでしょ」 再度見下ろすと、確かに真木の手にも口にも煙草はない。 「……俺には遠慮する必要ないってことじゃないすか?」 「そうなのかな」 三咲が面白そうに覗き込む。 「九石君って、真木さんと合わないタイプだと思ってた」 何を話しているのか、真木は金原とじゃれ合っている。脇で達雄と安藤が笑っている。 「合いませんよ。あんな適当な人」 言いながらカップに口をつける。三咲が淹れてくれるコーヒーはいつでも少し薄い。 「ーーーあの後、どうだった?」 三咲が静かに切り出した。 「ああ。3階に上がったら、もう真木さんは事務所から出て鍵かけたあとで、変な顔されました」 三咲はどこか安心したような顔で「そっか」と言った。 「ーー私の勘違いかもしれないね」 「そうですよ。だってあの二人、男同士じゃないですか。ある意味」 「ボーイズラブになっちゃうよね」 三咲は大袈裟なくらい大きな口を開けて笑った。 「ーー外川さんのさ、真木さんを見る目がさ、たまに優しすぎて、ただの部下に送る視線じゃいなーって思っただけ」 「そう、ですか?」 「まあ君も、ただの先輩に送る目線じゃないけどねっ」 思わず黙ったこちらを見ながら、三咲がケラケラ笑う。 「ごめんごめん、かわいいんだもん。九石くん。そんな意味で真木さんを慕ってるんじゃないもんね。お姉さんはわかってるぞー」 頭を撫でられる。コロンかハンドクリームか。フローラルな香りがする。そう。いわゆる“いい女の匂い”とはこういう匂いだ。 「お前!ふざけんなー!」 二重サッシごしでも聞こえる金原の叫び声がして、真木が逃げるように入口に走っていく。 追いかけた金原が雪に足を滑らせ盛大に転ぶ。 ゲラゲラと笑い声が響く。一旦は入口からはいった真木も出てきて、そのまま倒れ込んでいる金原の頭を叩きながら笑っている。 ーーー“そんな意味”ではないのか。 じゃあどういう意味なんだろう。
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