運命

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運命

うがいを終えて鏡に向かって「イー」とした時だった。奥歯の表面にあったピンクぬめりが無くなり、奥歯の表面には真っ赤な横線が大体4本に渡って引かれていた。触ってみるが、別に糸唐辛子が付着してるわけでもなく、本当に只の赤い線がそこにあった。段差も無いし、触っても擦っても何も感じない。それだけじゃない。歯全体が本当に真っ白になっていた。洗い流した左手も右手と比較するべくもなく真っ白だ。驚きながら、もう一度あの歯磨き粉を持った時だった。あの蓋よりも少し下に引かれた水色の線の上に黒字で「feit」と何時の間にか記されていた。さっきまでは確かに何も無かったのに、何故なのか混乱したがきっと見落としたのだとチカコは自分に言い聞かせて、歯磨き粉を戸棚に仕舞った。 出かける準備を終えたチカコの足元に白い飼い猫が纏わりついてきた。今迄お昼寝タイムだったらしい飼い猫はチカコが出かけようとする度に目ざとく目覚めて「行かないで」アピールをして来る。 「お買い物に行って来るだけよ。直ぐ戻るから」 飼い猫を何時ものクッションの上に寝かせて大人しくさせた後、チカコは近くのコンビニに振り込み用紙を持って行った。店員にバーコードをスキャンして貰うとお馴染みの「画面タッチ」を要求され「OK」と書かれたタッチパネルのボタンを押した。 コイントレーに500円玉を置いて領収証を貰って店を出た後、チカコはスーパーに向かった。幾つかの野菜と調味料に即席めんやら日用品を買い物籠に次々放り込んで、最後はお菓子コーナーと飲料コーナーだ。 大好きなポテチを二袋程放り込み、飲料コーナーでこれまた愛称抜群の炭酸飲料の一番大きいサイズを選んで籠に入れた。けっこな重さになってしまったが、今更カートを取りに行くのも面倒だったので、取り合えずこのままレジに並ぶ事にした。 レジに向かうと思ったよりも客が並んでいた。取り合えず、通常のレジよりも回転率の良いセミセルフのレジに向かった。セミセルフは店員さんが商品を打って、会計機と呼ばれる機械でお客が支払い方法を選択してお会計するレジの事だ。最初は面倒に感じたが、慣れて来るとこっちの方が楽だと感じ、チカコは(もっぱ)らこちらを選択する。 まあ、通常レジしか開いていなければ特に何も思わずそちらに並ぶのだが、必ず文句を垂れるお客が居る。そして、今日も分からないのに何故かセミセルフに並び、店員を呼び止めるお客が居た。担当した店員さんは特に嫌な顔もせずに明確にやり方を教えていたが、どうやら「やって欲しい」その客は頑として「分からない」と連呼していた。その様子がちょっとだけ見えたチカコは嫌な予感がした。そして、その予感は的中してしまった。 「オイ! 何時まで待たせるんだ! さっさとしろよ!」 「申し訳ございません。今暫くお待ちください」 中年と思われる男性が声を張り上げて、会計機で代わりにお会計操作をしてあげているレジの店員さんに激怒していた。代わって貰っているお客の声は聞こえないし、チカコからは見えなかった。嫌だな~早く終わらないかな~と思っていた矢先だった。突然、自分の前に立っていた紳士が列を抜けてその声の方へ向かって行った。 「お姉さん、僕が代わりにお教えしますので、レジをやって頂けますか?」 そんな声が聞こえた。それと同時に中年男性の怒声は止み、レジ待ちの列が少しずつ進み出した。チカコも進んで行くとやがてその紳士と代わって貰っていたお客の姿が見えた。会計が終ると、そのお客は一生懸命お礼を言っていた。紳士は笑顔で手を振り、何事も無かったかの様にレジ待ちの列に戻って行く。 「あの!」 チカコは思わず、その紳士に声を掛けた。紳士は振り返り、不思議そうな顔をする。 「私の前、居ましたよね」 どうぞとチカコが手を差し伸べた。 「ああ、でも、一度列を抜けてしまいましたから、もう一度並び直します。声を掛けて下さってありがとうございます」 紳士は爽やかな笑顔を見せて、長い列の最後尾へと姿を消した。やがて、チカコの番になって、籠をレジ台に置くと、店員さんは申し訳なさそうに「お待たせ致しました」とお詫びしてからレジ打ちを始めた。 この列の一人一人に言ってると思われるこの店員さんに酷く心が痛んだが、何と声を掛けて良いか分からず、無言で会釈だけを返した。会計を済ませた後、チカコは「あの人なら、店員さんに何と声を掛けるだろうか」と考えたが、じっとお店の中で紳士を待つ訳にもいかず、袋詰めを済ませた後、退店して帰路に着いた。
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