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帰省の折に
節分の日に、決まって思い出すことがある。
私が小学校三年生の時、ふたつ年下の妹が、下校途中の道端で唐突に訊いてきた。
「おねえちゃん、あのね……」
もじもじしながら上目遣いで、あの子はポツリと言った。
「フクワ、てなあに?」
「ふくわ? ちくわじゃなくて?」
「ちがうもん。お豆まくときに、みんな言うでしょ」
おにはそと。フクワうち。
そうか、妹はまだ、福という言葉を知らないのか、と悟った。その時、ちょっとしたいたずら心が、私のなかで芽生えた。
「フクワって、うちのなかにいる? 隠れてるの?」
私たちの通っていた学区では、黄色い帽子は一年生だけが被るものだった。好奇心に燃える、まるくて綺麗な目。二月の風のなかだというのに、あの子はひまわりみたいに見えた。
「フクワはね、座敷わらしみたいなものなの。妖怪だけど、良い妖怪。明るい時間は押入に隠れてて、みんなが寝てるときは、布団の上で遊ぶんだよ」
にやにやしながらそう答えると、妹はええっ、と言いながら不安げな顔をした。
「怖い?」
「うん」
「良い妖怪でも?」
「やだ」
俯いて石ころを蹴り始めたあの子の肩を抱いて、いつもお姉ちゃんが隣にいるんだから、大丈夫だよ、と言うと、私のスカートの裾を、小さな指できゅっと握ってきた。
その晩、私は父にしこたま叱られた。ちいさな妹にくだらない嘘を教えるなんて、と。
母が時間を掛けて手作りしたコロッケ。ソースを掛けたところだけ、衣がシュンとしている。
そんなに怒るほどのことじゃ……と母が言いよどむと、小さなことだからって許していると、だんだん大きく育つんだ。もう二度と、するんじゃない、と改めて父は言った。
私の頭の上に注がれた叱責はそこまでだった。そのあと、父は熱心に「福は内」の説明をしていたが、妹はコロッケの衣の中身を食べるのに夢中のようだった。
妹のところには去年、子どもが生まれた。
ひとり暮らしをするようになってからも、盆暮れ正月には何となく義務的に実家に顔を出している。駅前の和菓子屋で間に合わせに買ったどら焼きをぶら下げながら、ただいまー、とほとんど独り言のように呟いて引戸を開けると、それは聞こえた。
愉しそうな、父の笑い声。
廊下中に響き渡る、元気な声だった。
「おかえり、遅かったわね。あら、お土産? どら焼きね」
母は立ち上がって、どら焼きの箱を手に台所へ行った。お茶を淹れてくれるつもりなのだろう。
「お姉ちゃん、髪色変えたんだ! いいね、ダークチョコみたいでかっこいい」
すっぴんの妹。すっかり母親って顔をしている。ほっぺたがぴかぴかして、生む前よりも若返ったよう。
妹は我が子と戯れる父を眺めながら、声を落として私に言った。
「お父さん、こんな風になると思わなかったよね。私、お父さんってこわい人だとばっかり思ってた」
うんうん、と私は頷いた。父は初孫と向かい合って座り、おもちゃで気を引こうとしたり、頭を撫でてやったり、忙しそうだ。
高校生のころ、通学の時に駅や電車で若いサラリーマンを見かけると、父の部下の人たちは、あの人のことをどんな風に思っているんだろう、などとよく考えたものだった。
会社でも、いつものようにむすっと黙り込んで、何も言わずにチャンネルを変えたり、エアコンの温度を変えたりしているのかな。それとも会社では、にこにこ陽気に挨拶なんかするんだろうか、と。
「おや、この顔は。うんちじゃないか? おむつを替えてやらないと」
黒縁眼鏡の恵比須顔。鬼じゃなかったのか、この人は。
それとも、本当にいるのかもしれない。
あの日、あどけない妹の口から発せられた名前。
私が妖怪に仕立て上げてしまったけれど、嘘から出たまこと、ということもあり得る。
フクワ様の御利益で、頑固親父がまあるくなった!……
こうやって、なんでも自分に都合よく落ちを付けようとするのが、人間の空恐ろしいところ。
本当は豆なんて撒かなくたって、人間なんかに寄り付かないんじゃないかと思う。
鬼だろうと、フクワだろうと。
≪了≫
2021.3.12
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