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一室
薄暗い階段を上がっていくと、6畳くらい和室へ通された。こちらも暗いのだが廊下よりは明るく、近づけば人の顔の細部までハッキリと見て取れる。
女性はメイクをするし、目元は絶対にごまかせる、とは誰の言葉だったか、意識せずとも、自分の後に続いた人の顔を見つめながらそんなことを思った。
きれいな人だなと思う。それは嘘偽りなく、町を歩いていて思わず目で追ってしまうような、そんな惹かれ方をさせる容姿だ。八方美人で、交友関係のために割り増しをしたお世辞でなく、きれいな人だなと思った。
きっと自分が理想とする顔はこういう顔なのではないか、と初めて気づく。無難に生きてきてはいるのだから、それなりに女性の顔を見ているはずだが、これまでにそう感じたことはなかったし、友達と話すときに「好きな顔は?芸能人でいうと誰?」の会話は本当に話半分の会話だったのだろうと、いまさら自分に生じたその事実に気づかされている。表でさらっと目を通した時と違い、近い距離で顔を合わせながらまじまじと顔を見つめているとそんなことを考えていた。
細かい会話は省かせてもらうが、世間話程度の会話も無かったたわけではない。むしろ、まぁ、饒舌なことだと自ら思うくらいに相手の容姿を褒めたものだ。時間も始まっていなかったから気を緩めていたのかもしれないが、二人だけしかいない一室は目的とは違うところでも気をはやらせた。
机を挟んでの雑談は数分程度ではあるのだけど、相手を見ない何も感じない時間を過ごすことになるか、そうではないかを大きく隔てるのだとは後から気づいた。お互いに素性が分かるような会話はしていないけれど、こう何というのか、日常を離れたところで共有した時間は他愛もない会話もこれほどに心をえぐるものだとはそのとき思いもしなった。
時間が始まってしまうと、耳へ入ってくる音は限られてくる。布と肌が擦れる音、肌が貼りつきはがれる音、かぼそい声、今までのどんな時間より濃い時間を文字通り肌で感じている。
この時間、確かに自分は人に触れているのだ、と思う一方で、限られた今だけしかないのだという現実を無意識に感じている頭の芯の外側から、じわじわと広がっていくように頭の中を占めていき、時間を終える頃には、自分をどこかに置き去りにしてきたような疎外感に気持ちは支配されている。この感情は何のだろうか、感情と呼べるほどはっきりしたものではなく、気持ちと表すしかないような曖昧なものでもない。これだけ近くに人を、肌を感じていたのに自身は目の前が遠ざかっていくように孤独と喪失の中に身を落とされたような気がしていた。
帰り際に話したことはもう覚えていない。きっと淡白なものだったのだろうと予想するしかないが、とりとめもない会話にから返事をしていたのだろう。それよりも言葉に表すことが出来ない自分の中身をどうにかしたく、夕方と夜の予定に僕は頭を巡らせていた。
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