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手応えなし
「本当に勘弁して! みんなが迷惑するんだよ。なあ! お前ここにどんだけいるんだよ! いい加減仕事覚えろや! じゃなきゃ辞めちまえよ! 」
また今日は一段とイビり方に気合いが入っていますね。どうしたことでしょう?
私は宮原と佐藤さんのやり取りをしばらく傍観していました。
佐藤さんはいつものように一方的に言われて。何かひとつでも反論すれば良いものの……いつもあの顔。下唇をぎゅっと噛み締めて。下を向いて。もう、長年の癖なんでしょうね、あれは。今日はまた一段と泣きそうな顔をして。でもここで私が助けてしまえばそれが常になります。こういう相手には自分からはっきりとした意思表示をしないといけないのです。
不愉快極まりないと。お前にそこまで言われる筋合いはないと。
おそらく佐藤さんというのは、余程自己肯定感の低い子なのでしょう。
この状態になったのも、全て自分が悪いと思い込んで、反論したいことも浮かばないのでしょう。
だがしかし……あの顔を見るのはもうこちらも辛い。限界です。
私はとうとう動きました。
「宮原さん、ちょっとよろしいですか? 」
◇◇◇
宮原とミーティングルームで対峙しました。
「あなたの佐藤さんに対する態度があまりにも冷た過ぎます。社内の士気に影響するので、今後言い方に充分気をつけていただきたい」
宮原は鼻で笑いました。やはり新参ものの私を認めることはしないのでしょう。思っていた通り。
「お言葉ですが課長。士気が下がるというなら、佐藤にそれを教えてください。みんなお前のどうしようもないミスで毎回迷惑を被っていると。俺や周りから言っても何一つ変わらないんですよ。あいつは。努力しない。それで可哀想なふりをして周りから同情を買おうとしてる魂胆が見え見えなんですよね。むしろ、俺はみんなが避けて通る嫌われ役にあえてなって、あいつを鍛えようとしてるんです。なにくそ根性を叩き込むために。それをそんな風に言われるとは正直言って心外ですね」
なるほど。さすがはうちのエース。とても口が達者だ。そう言われると、なんと返していいものやら……いや、返したところでこの男は聞く耳を持たないだろう。このやり取りは不毛だ。これ以上はもうどうにも出来ない。
「わかりました。佐藤さんにも意見を伺っておきます」
私たちが席に戻ると、宮原に隣の席の部下が聞いた。
「何だったの? 」
宮原は待ってましたとばかりに佐藤さんを見ながらフロア中に響き渡るような声で言った。
「弱いもの苛めはやめろってさー! 誰かさんのせいで注意されちゃったよ、俺。自分が可哀想。損な役割だよ、全く。それにしてもあざといよなー。被害妄想し過ぎて上に相談したんじゃないの? 自分が苛められてますって。いやいやいや、俺らのほうがお前にメーワクしてますから! 」
……逆効果だったでしょうか。私のしたことは……
背中を丸めて黙ってパソコンに向かっている佐藤さんを見て、そう思うのでした。
私はそのまま視線をデスクに落としました。
ん?
ああ……今日は残業ですね。不覚です。刷る前に気づいたら良かったのですが……駄目ですね私も。最近弛んでます。
「佐藤さん」
「あ、はい」
「明日の朝イチの会議で使われるこの資料に大幅なミスがありました。残業となってしまいますが、今から資料を作り直してまた20部仕上げなければいけません。今日の予定は大丈夫ですか? 」
佐藤さんは暗い顔をして言いました。
「また何度も……本当にすみません。いつも課長にはご迷惑をおかけしてしまって……」
「大丈夫です。今回は私のチェック漏れが原因です。上司の責任です。佐藤さんは気にしないでください。ただ、入力ミスが減るように以後気を付けてください」
私はだんだんわかってきました。佐藤さんがこんなにもケアレスミスを繰り返す理由が。あれだけ自分の近くでいつでも関係なく自分の悪口を飛び交うように言われていれば、そちらに気を取られてしまい、ミスも連発します。しかしそれをどうにか自身の力で打開しないことには……
佐藤さんはびっくりした顔をして私を見ました。そしてまた泣きそうになりながら、
「ありがとうございます! 直ぐに直しますので、間違っているところを教えて下さい。今机からメモを持ってきます」
そう言い、机に戻って行きました。
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