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2.もう一度聞きたい
庭の畑で作物の成長記録を取っていた私は、掛けられた声に驚いた。立ち上がって振り向くと、女性にしては背の高いメイドが箒を持って、陽射しに目を細めながら私を見ている。
「悪いんだけど案内してくれる? 私、昨日から働き始めたばっかりで、どこに何があるかあやふやなの。お使いの子はあっちで待ってるから」
そう言って、裏門に続く乾いた土の道を足早に歩き出したメイドから目を離せず、混乱したまま追いかけた。
「それで、どこに運べばいいの?」
問いかける声に耳をくすぐられ、鼓動を打ち鳴らしながら裏門と少し離れた場所に建っている、小さく古びた納屋を指差した。
「ああ、あれね。わかったわ、ありがとう」
メイドは微笑んで礼を言うと、肥料の運搬人へ走り寄る。そして、納屋へ肥料を運び終えた運搬人を見送ってから、どこかの掃除へ戻って行った。
私は動けず、その光景を突っ立ったまま眺めていた。
人の声を不快な音として拾ってしまう私の耳に、彼女の低い穏やかな声はしっとり馴染んだ。静かな雨音に似たその声に心が震える。
心安らぐ声を聞いたのは母が他界して以降初めてで、突然のできごとに頭が追いつかなかった。
去って行ったメイドを追いかけることも、何かを考えることもできずに立ちすくむ。しばらく目をつむり、乱れた呼吸を整えた。
驚いた。驚いただけだ。耳に馴染むから。私のことを庭師かと聞いていた。採用には関わっていないし、顔も出していないから新しいメイドが知らなくても当然か。当主だと知っていたら話しかけられなかっただろう。
……また声を聞けるだろうか?
父は周囲に大反対されながらも平民の母を正妻として結婚した。爵位を継いだ当主であり、家父長がおらず、自分の意思で結婚できる年齢に達していたからこそできたことだ。
母は裕福な家の出で、本人も人気の歌い手であり財産もあったが、身分差の結婚は忌避され、貴族同士の付き合いから排除されることもあった。それでも二人は仲睦まじかったし、そんな相手を私にもと父は願っていた。
昔は私も、父にとっての母のような人がいつか現れるのではないかという期待を持っていたが、それは年ごとに萎み、今では願うことすらしなくなった。思春期に発症した接触恐怖症は治らず、声への過敏さは幼い頃からずっと続いている。こんな私に相手がみつかるはずもない。
ないと思っていたのに。
その日は眠るまで、私の中に残った彼女の声を頭の中で繰り返しながら過ごした。彼女の声は私の中のなにかを満たす。心が震える、言い知れない気持ち。
もう一度、もう一度、聴きたい。
翌日、昨日と同じ時間帯に畑の前で記録を付けながらソワソワと過ごした。
ゴミを捨てに通り過ぎたメイドを見て、昨日の彼女の顔を思い出せないことに気付き、愕然とする。背が高かった、それだけしかわからない。
声を聞けばすぐわかるのに、そんなことできるはずもない。ふだん他人を避けて歩いている当主が、メイドに話しかけてまわるなんて、そんな馬鹿なこと。
日が陰り始めたころ、夕食に呼ばれて諦めた。足も体も酷く重い。
ベッドに入って目を閉じ、暗闇の中で彼女の声を思い出す。もう聞けないかもしれないと思うと、胸が痛んで苦しかった。
翌日も庭で記録をつけたが、彼女がわからないと思うと落ち込みで手が動かず、作業を中断して屋敷に戻った。なんだか億劫になり、汗をかいた庭仕事の服のまま仕事部屋へ行く。ドアを開けると掃除中のメイドが驚いた顔で振り向き、目が合うと笑った。
「あら、庭師さん。このあいだはどうもありがとう。お陰で助かったわ」
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