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家族。 なんとなくわかっていたつもりだけれど、その芯の部分まではわかってなかった。
寡黙ということもなく、さりとて賑やかというわけでもない平凡な父。 どこにでもいるような人だと思っていた。 こんな事ならもっと色々と話をしておくんだったと、今更ながらに悔やむ。 父の通夜に来る人達から聞いた、俺の知らない父。 九縁一生(くえんいっせい)の物語。
父、一生は昭和25年2月5日に九縁家の長男として生まれた。 祖父は郵便局に勤め、裕福でもないが貧しくもない感じの家庭で、祖母が小さな事は気にしない性格であったため、自由にのびのびと育ったようだ。
工業系の高校を出て、この町1番の工場に勤めた。 まぁ、この街の三分の一の人が務めていると言われてるので、それも不思議ではない。
ちなみに、私も今その工場の事務員として働いている。 高校時代は野球部に入っており、チームもそこそこ強かったので父には大学からの誘いもあったみたいだが、それを蹴って就職したらしい。
当時の同僚の方から聞いた話では、父は誰でも分け隔てなく話しかける人で、なんとなく周りもそれにつられる形で人間関係は円満な職場だったらしい。 なので、父が退職するときには何人かの若い連中が泣いていたというエピソードを聞かされた。
「本当に九縁さんは、我らの栄養剤だった。 あの人がいるところは笑顔があったし、上司達も一目置いていたので、我々の話を聞いてくれたものだ。 本当に感謝しかない。」
話では聞いていたんだが、うちでは見せなかったそんな側面があったのか。
「入社した時、知らない人まで親しくしてくれたのは、そういう事だったんですね。 たんにフレンドリーな会社だと思ってしまった自分が恥ずかしいです。」
「それでいいんじゃないかな。 そういう雰囲気こそ九縁さんが目指した事だろうし。」
「貴重な話しをありがとうございます。」
「いやいや、こちらこそ。 当時のことを久々に思い出して、とても懐かしい気持ちになれましたよ。 どうか気を落とさずに、頑張ってください。 また今度飲みながらでも、、」
「そうですね。 父の話を聞かせてください。」
また、父の数少ない趣味の釣りの仲間だった佐野のおじさんは
「ん?釣りかい? まぁ、言いにくいんだが、釣りはそんなに力入れてなかったんだ。」
「どういう事ですか? 毎月のように釣りに行ってたのにですか?」
「もう、亡くなっちゃったしいいかな? 釣りもしたけどね。 実は隠れ家で遊んでいたんだ。 遊んでたというか、ぐだぐだ喋ってただけかな? 実際釣りは2時間ほどしかしてないんだ。 それも6人で竿2本くらいでね。」
「え? 高雄、釣りは楽しいぞ!とか言ってましたよ? あれは、、」
「いやいやいや、釣りは好きだったんだ。 それは間違いないし。 上手だったよ。」
「でも、釣りより喋ってたんですよね? 呆れた、、、」
「けどな、高雄君、、」「いや、呆れたけど、羨ましいんですよ。 なんて楽しそうな事をやってたんだ!ってね。」
「よかったら、今度来るかい? きっと、釣りの話したのも高雄君が興味持てば誘う気だったのかのしれないね。もうそんなには集まらなくなったけどね。 みんな歳だし。九縁さんが体悪くして来れなくなったのもあるのかな。 みんな九縁さん好きだったし。」
「行ってもいいんですか?」
「もちろん、高雄君が来るなら皆んなにも声かけておくよ。 久々に賑やかになるなぁ。」
なんて事だ、俺が知らなかっただけでけっこう楽しい事してたんだな。
その後、一生さんの通夜だしけっこう人来そうだからと、遅い時間に父とは幼馴染みの彩田さんがきてくれた。
「遅くになっちまったが、線香あげさせてくれ。 高雄ちゃんも気を落とさずにな。」
「わざわざありがとうございます。 覚悟はできてましたし、母の時ほどはショックはないですから。」
「あぁ、確かに露子さんの時は突然だったもんな。 高雄ちゃんも若かったし。」
あれはまだ俺が中学校の2年生のときだった。
部活が終わり家に帰ったら、いつも「おかえりなさい」という母の声が聞こえない。
どっか出掛けてるのかな?と思いながらも自分の部屋に行き、いつものようにテレビを見ていた。 「ご飯ですよ。」と、いつもなら呼びに来るのに、いつまでも来ない。
なんか嫌な予感がした。 俺は居間に、、
あれ?母さん寝てるのか。 疲れてるんだな。
「風邪ひくよ?」と毛布を持ってきてかけようとした時、母さんの手に触れた。 冷たい、、
そこからはもう何が何かわからない、、
警察と消防署の両方に電話した。 今と違って携帯電話などないので、父になかなか連絡できなかったが、近所の人が会社に連絡してくれたようだ。 残念ながら、母は帰らぬ人となった。 それからは、父と二人で暮らすことになるのだが、あまり会話はなかったかな。
まぁ、俺が避けていた事が原因なのだが、特に理由はない。 友達の誰も父親との仲良しエピソードを話すものなどいないという、ただそれだけのことだ。 のちに考えると無駄な時間だったなぁ。
来客の対応に追われ、他のことは近所の人たちに任せっきりになってしまっていた。
「何から何まで、ありがとうございました。」「何言ってるんだよ。長い付き合いじゃないか。」「そうそう何でも遠慮なく言いなよ?」 人の情けが身に染みる。
弔問客もおおかた帰り、近所の人達にもお礼を言い引き上げてもらう。
「じゃ、私らはこれで。 明日8時には来るから、火には気をつけるんだよ。」
親戚もいない俺にとって近所の人達の親切にはいつも感謝している。 いつかきっと、返していかねば。
しばらく横になっていたが、なんか寝付けないので、ゲームでもしようかとスマホを見たら、かつおからLINEが入っていた。
かつおは、父の釣り友達の佐野さんの息子であり、俺の幼馴染だ。
今から来るのか。 「おぅ、いいぜ。」と返信
しばらくしてかつおがきた。
「よぉ、元気か?」 「あぁ、覚悟はしてたからな。 まぁ、ちょっと急だったけど。」
しばらくは取り留めのない話をしていたが、例の隠れ家の話になった。
「俺は行ったことあるよ。 つか、連れていかれた。 重機使えるからな。」
「なるほど。 で、どんなとこなんだ?」
「少し山の中に入るけど、緑いっぱいだし景色はいいぞ。 海も街も見える。 一言で言うなら、最高の場所。」
「自然がいっぱいなのはいいな!」
「高雄、それは違うんだ。」
「え?どう違うんだ?」
「そこに自然はないんだ。 言ってみるなら、長い年月をかけて何世代にも渡って作り上げてきた造形物らしい。」
「どういうことだ?」
「田舎は自然がいっぱいとか言うけど、森も田んぼも皆んな昔の人が丹精込めて作り上げてきたものなんだよ。 それを何代にも渡って受け継いで、あたかも自然にそうなったかのように見えるだけなんだ。 一言で自然と片付けられる代物じゃないんだよ。」
「なるほど、そういうことか。 そうだな。」
「と、俺も親父達から教わったんだ。」
「ははははは、そうだろうと思った。」
「で、高雄の親父さんはそこのリーダーだった。 うーん、皆んながそう思ってただけみたいだけどな。」
「佐野さんに着てみるかって誘われたんだ。」
「行こう行こう。 俺も久しぶりに行ってみたい。 庭でBBQやろうぜ。」
「BBQかぁ。 長いことやってない。」
「爺さんメンバーが揃ったら、けっこう豪華なんだ。 猟師がいるからジビエにありつけるし、畑やってる人いるから野菜も新鮮だし。
昔、東京のレストランで料理長してた人もいるしな。 あと必要なものは大工の留吉さんや鋳造所の中村さんいるから何でも作っちゃうし、すごいんだぜ。」
「へぇ、豪華だな。 でも49日過ぎるまではダメだな。」
「そうだな。 区切りだし。 あ、ちょっと待って、親父からLINEだ。」
「お前、親父さんとLINEやってるの?」
「ん?やってるよ。 なんで?」
「いや、うちはそんなのやらなかったから。」
「えっと、、親父がね、、火葬の後、少しでいいから遺骨が欲しいそうなんだけど。」
「構わないけど、何するんだろ?」
「隠れ家に分骨するんだって。 お墓とかは大袈裟だから、そこに桜植えるんだって。」
「へぇ、そりゃいいね。 OKだよ。」
「器は親父が用意するって。」
「わかった。 で、その日は俺も立ち会っていいか聞いてくれないか?」
「じゃ、49日以降で、高雄も参加したいらしい、、俺も行くからBBQしたい。」
「ははは、どさくさに紛れて、、」
「親父も乗り気だわ。 派手に精進上げしよう! 全員に召集かけておく。 との事。」
父の葬儀もつつがなくすみ、初七日を終え、近所の方にお礼を言ってまわり、ひと段落ついた。
それからは何故だろう、仏壇に向かって喋りかける毎日だった。 生きてる頃はほとんど会話もしなかったのに。
「そんな楽しそうな事してたんなら、ちゃんと教えろよ。」と言った尻から思い当たる節もある。 あの時、、
「なぁ、高雄。 行きたいところあるんだけど、車運転してくれないか。」
もしかして、連れて行く口実だったのか、、、
わかりにくいんだよ! ハッキリと、、い、え、、よ、、 いや、俺が聞かないか。
そんなある日、夢を見た。 見知らぬ部屋だが、目の前にいるのは父だ。
「よくきたな高雄。 お前をここに連れてきたかったんだけどな、なかなか言い出せなくてな。 すまんすまん。」
そこには気さくなオヤジがいた。
家ではいつも一人寂しそうにしてたのに、、
いや、俺がそうさせていたんだ。 父親と仲良くするなんてカッコ悪いとか勝手に、、だから、特に理由もないし、父からはどうしようもなかったのだろう。 涙がこみ上げてきた。
「おいおい、泣くなよ。 確かにまあり話せなかったけど、お前の元気な姿を毎日見れただけでお父さんは満足してたから。 気にすんな」
「ごめんな、父さん。 バカな息子で。」
「もういいから。 それよりお前に渡したいものがあるんだ。 そこの押し入れの中に、、、そこの下段の左側。 そうそう、そこに隠し戸棚がある。 そう、それだ。 現地に行ったら探してみてくれ。 達者でな。」
「父さん!」
目が覚めたが、そこは当然自分の部屋で、誰一人いない。 やはり、夢か。 そして、父さんがこんなにマメだったとは知らなかった。 隠れ家に行く前の日にも、同じ夢を見た。 隠れ家に行く途中、夢のことをかつおに話した。
「お前の親父さん、よほど連れて行きたかったのかな?」
「あぁ、そうかもな、、」
街を外れ小一時間ほど山道を走った場所に車を止めて、さらに山の奥へと歩いていく。 15分か20分ほど歩いただろうか、少しひらけた場所に出た。
「さぁ、着いたぞ高雄君 我らの秘密基地へようこそ」
佐野のおじさんが少し芝居めいてそう言った。
話では聞いていても、親父がこんな物を作っていたかと思うと驚きだ。 しかし、夢で見たまんまだった。
立派なログハウスにウッドデッキやBBQコンロまで。
「かつお、想像してた遥か上だ、、驚いた」
「だろ? 俺も初めて来た時は驚いたよ。 しかもソーラー発電だし、川から水も引いてきてるし。 そうだ、そこの看板見てみろよ。 洒落てるだろ?」
かつおに促され看板を覗いた瞬間に笑わされた。
「なんだ、これ、、あはは じーせぶんサミット会場?」
「ジジイ七人で作ったらしいんだ。 さ、中に入ろうぜ。」
中にはすでに大工の留吉さんに鋳造所の中村さん、そしてコックの直方さんが来ていたので、一通り葬式での香典や弔電のお礼をすました。
「父の葬儀に際し、多分なるご厚情を賜り誠にありがとうございました。 父も喜んでいることと存じます。」
すると留吉さんが「そんな堅苦しい挨拶はなしで。 それに、俺が一生さんから受けた恩に比べりゃ、あんなもん恥ずかしいくらいだわ。」
「そうそう、留吉も俺も一生さんがいなかったら、今頃どうなっていたかなぁ。」と直方さんが言った。
なんでも、直方さんと留吉さんは相当な不良だったらしく、誰もが避けていたのに、うちの親父だけが立ち向かったらしい。
2人はその当時ケンカしては負けなしの不敗伝説を持っていたが、その2人が歯が立たないほど親父は強かったらしい。
喧嘩に負けたら俺らの舎弟になれとふっかけたケンカを返り討ちにあった2人は、親父の舎弟になると言ったのだが断られたらしい。
「そんな目つきの悪い舎弟なんか持ったら、俺が嫌われ者になっちまうじゃないか。 お断りだ! ま、友達にならなってもいいぜ。 ただし、もう喧嘩はやめろ。 それが条件だ。」
2人もとことん腐ってたわけじゃなく、力のやり場を探していただけなのかもしれない。 そして、まもなく初期の秘密基地計画が始まったそうだ。
「まだ中学生だったけど、いやもう中学生というべきか? 一生さんが秘密基地を作りたいって。 こいつ、中学生にもなって秘密基地?とか思ったわ。」と直方さん。
「そうか? 俺はちょっとワクワクしたけどな。 そしたら、親戚の鋳造所やってる中村のおじさんとこが山持ってるの思い出して、従兄弟に話したら乗り気で、場所を借りて秘密基地を作り始めたのさ。 当時は、簡単な掘立て小屋だったけと。 それが、楽しくて今じゃ大工さ。」と、留吉さんが言うと「俺も留吉から話聞いた時は楽しそうだって思ったよ。 即、親父に話をして場所を借りた。」と中村さん。
「へぇ、そうだったんですか。 でも、山の中に作るのって大変ですよね。 木も切らないとダメだろうし。」
「そう思うだろう? 本来はそうなんだが、中村の親父さんがまたガキみたいな人で、重機使って場所を作ってくれてたのよ。 しかも、俺らがやってる時もちょくちょく見に来てたなぁ。」
「留吉、親父の話はやめてくれ、恥ずかしいわ。」
でも、素敵な親父さんじゃないかって思った。
と、その時富田さんが野菜を抱えて入ってきた。 直方さんが指示を出す。
「お、食材到着か! 下拵え始めるから厨房に運んでくれ。 肉もあるのか?」
「もちろん、5日ほど前に撃った奴だ。 そろそろ食べ頃だ。」
と、猟師をやっている富田さんが自慢げに肉を見せる。 直方さんは、秘密基地で食べたBBQの準備を手伝いながら料理に目覚めていったそうだ。 だから、ここでの料理は気合が入るらしい。 楽しみなことだ。
また一台車が来たようだ。 ここには車でも入ってこれるのだが、そんなに広くないので荷物を持ってくる者だけが乗り込んで来ていいと言う不文律がある。
車から降りてきたのは佐野の親父さんと、永年寺の住職の長友さんだった。
「これで、全員揃ったな。 全員揃うのは2年ぶりくらいか?」と留吉さん。
留吉さん、中村さん、直方さん、富田さん、長友さん、佐野さんに、俺の親父を含めた7人が「爺せぶん」らしい。
俺が持ってきた遺骨を簡単に作った祭壇に置き、住職のお経が始まった。 49日も終わっているので、簡単な法要らしきものを終え、親父の遺骨を庭に埋め、その近くに桜の木を植え法要は終了した。 佐野さんは一旦住職を寺に送って行った。
「おーい、運ぶの手伝ってくれ」と直方の声がした。
俺とかつおは厨房に行き荷物を運び出す。 留吉さんや中村さんは、テーブルをだし、火を起こす。 やはり、みんなで何かやるのって楽しい。 しばらく忘れていた感覚だ。
「どうだ?美味いか?」と聞いてくる直方さんの笑顔がいい。
「美味いに決まってるだろ!俺が持ってきた肉だぞ。 野菜は長友の畑だしな。」
時はすぎ佐野さんと住職、、いや私服に着替えた長友さんがもどってきた。 楽しいBBQは続く。
話はやはり親父の事になる。 生前の話もいっぱい聞いた。
この人たちにとっても親父は(いい意味で)異質の存在であり、驚かされる事ばかりだったと。
「そして、1番驚いたのは、一生さんが、自分の葬式用にビデオ作成してた事だよ。 しかも、あのコメント短いけど、まさに一生さんだった。」と、佐野の親父さん。 葬式に来れなかった留吉さんや直方さんは「見たかった」って言うので、「持ってますよ。」と。
「でかした高雄君! 見るよ。 いや、見せてよ。」と言う事で、ビデオ鑑賞会が始まった。
親父が自分の葬式用に作成したビデオで、親父が入院中に外泊許可取った時に映したそうだ。
「晴れ男の俺が死んだら葬式の日はきっと雨だろうと思う。
本日は足元の悪い中、俺みたいな者のためにありがとうございます。 生前は色々お世話になりありがとうございました。
そして、息子の事もよろしくお願いします。 葬式というと湿っぽくなりがちですが、できれば笑って見送ってください。
私は周りの人が楽しそうにしているのが好きでしたし、その中で生きているのが好きでした。 だから、人生の最後に誰かを悲しませたくないので、笑って見送ってください。 今まで、本当にありがとうございました。」
わずか数分のビデオだが、親父がこんなこと考えていたなんて、ほんとバカ息子もいいとこだな。 しかし、、なにが雨だ!雲ひとつない快晴だったわ!
泣きじゃくる留吉さんに「泣くなよ。 一生さんも言ってるだろ。」と涙ボロボロこぼしながら直方さんが言う。
「そう言えば、ここくるの決まってから2度変な夢見たんですよ。 小屋の中に隠し戸棚があって、そこに渡したいものがあるからって。」
「隠し戸棚?聞いた事ないな。 留吉知ってるか?」
「うん、あるんだ。 頼まれて作ったのがある。」
俺はそれを探しに小屋の中にはいった。 1箇所だけ眩しく光ってるように見えた。 一瞬だけど。
確かにそこには隠し戸棚があった。 そして、愕然とした。 そこには一枚の手紙と預金通帳と印鑑があった。
手紙には「もし、これに気がついた人がいたら、息子の高雄に渡して欲しい。」とだけ書かれていた。
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